議題:無水エタノールと消毒用アルコールの違い
結論:純度
ポイント:
・無水アルコール、無水エタノールとは純度99パーセント程度のものを指す
・アルコールとはエタノールを含む、炭化水素の水素原子をヒドロキシ基で置き換えた物質の総称
・濃度の高いアルコールはかえって殺菌効果が低いため、一般に無水アルコールを消毒用に用いることはしない
今回の反省点:途中で母が飽きました
議題:無水エタノールと消毒用アルコールの違い
結論:純度
ポイント:
・無水アルコール、無水エタノールとは純度99パーセント程度のものを指す
・アルコールとはエタノールを含む、炭化水素の水素原子をヒドロキシ基で置き換えた物質の総称
・濃度の高いアルコールはかえって殺菌効果が低いため、一般に無水アルコールを消毒用に用いることはしない
今回の反省点:途中で母が飽きました
維新派ワークショップ 第4回@滋賀会館
・今回はちょっと遅刻 大慌てで駆け込みました
・はじめの30分は各自のストレッチなので、説明を聞き逃すなどの事態は免れました
・とはいえちゃんと時間通りに来ましょう
・プログラム的にはともかく、精神的に若干響きます
・毎回、滋賀会館大ホールの舞台上で稽古をしています
・「旅の道連れ」の公演があった場所
・この場所がほんとうに好きです
・老朽化を理由に秋から使えなくなるとのことでとても残念
・なにかできないものでしょうか
・7拍でふつうに歩く 1小節1歩 1拍1歩
・1と7で踏むように歩く 中腰
・1から7まではゆっくりと足を運び、7・1のところで足を素早く出す
・素早く、だけれど滑り込ませるようにし過ぎず、きっちり踏んで止めるように
・数え間違えました
・1、3、5、7で踏む 中腰
・リズムに合わせることに夢中になり、呼吸が止まりがちに
・余裕がなくなり、上体や足運びへの意識がおろそかになりました
・指定の場所で勝手に足が動くという体験をしました
・リズムが身体の中に入ってしまった感じ
・それ自体は悪くないことのように思うのですが、動きを止められなくなりました
・止めるべきところで常に前進し続けてしまう感じ
・この日はこれが最後まで続いてしまいました
・1と同時に腕を前方にまっすぐ上げ、次の1で下げる(足:1、3、5、7で踏む 中腰)
・素早く、止める
・足を踏むのと同時に前方に腕をまっすぐ上げ、下げる(足:1、3、5、7で踏む 中腰)
・「まっすぐ」というのは自分が思っているより随分下です
・歩くにつれ腕がどんどん上がっていきます
・ひとに見て貰って「まっすぐ」の位置を教えて貰い、それを覚え、身体になじませる方向で練習
・今回のリズムトレーニングは2組に分かれて半分ずつで行い、半分がそれを見る方式
・疲労度が前回とは段違いです 筋肉痛にもならずに済みました
・本番に向けてのおはなしすこし
・今後の練習予定とか
・どのくらい出演可能か、事情を事前に知らせてほしい、とか
・途中でやめないでね、とか
・先回配ったのは仮チラシ、本チラシをもうじき作ります、とか
・「オ・オ・サ・カ」について
・講談調、擬音を発声するつくり
・風の音「ヒュウ・ヒュウ・ヒュウ・ヒュウ」とか走る音「タッ・タッ・タッ・タッ」とか
・風の音、走る音っぽく発声してください
・10年前、阪神大震災の直後に作られた作品です
・舞台は第二次世界大戦での大阪大空襲 街が焼け野原になり、何もなくなったそうです
・それを「見晴らしがよくてとてもきれいだった」と語るおばあさんがいたそうです
・登場人物の半分は未来人、半分は浮浪児
・私のパートは浮浪児
・練習しているのは、彼らが焼け野原になった大阪を駆け回って、街の様子を表現しているところです
・発語について
・21連「爆弾穴」は「爆・弾・穴」をそれぞれ1拍に入れて発語する
・こういうのを「はめた言い方」と呼びます
・ずれると音と喧嘩します 要練習
・反面、地名はがちがちにはめずに普通に発音してください
・1回みんなで読んだ後に
・みんな音が跳ねる、できるだけ平坦に発音してください
・イクノというのは地名で、「野」がついた名前です
・焼け野原になったら本来の地形が出てほんとうに「野」になったはず
・何もなくなって言葉が生きてきた状態
・それはすこしべたっとした大阪弁の発語のほうが生きる
・11連の説明
・「オトオトサトカ」というのは、「オとオとサとカ」で「オオサカ」なんだよ、と説明しているところです
・こんな焼け野原の、という、なにか毒づくような、それでも愛着を抱いているような、そういう心境
・それを受けて未来人が「オニオニサトカ」「オにオにサとカ」で「オオサカ」なんだね、と返している
・これは「ウエストサイド物語」の「アメリカ」のシーンのパクリです
・「人種のるつぼアメリカ!」「差別の国アメリカ!」「やたら大きいアメリカ!」
・小節のはじめから読み始めるところ(「オ・オ・サ・カ」とか)はまだよいのですが、拍を置いて読み始めるところでつまりがちです(「・オ・オ・オオ」とか)
・自分が音を覚えるときの傾向からして、正しく歌っているのを何度か聞けば、それを覚えてそのまま発声することは出来る気がします
・でもそれが練習になるのかどうかはよくわかりません
・そうしないことに意味があるのでしょうか
・どうなのでしょうか
・歩く、発語ともに周りで一緒にやってくれるひとがいればそれに合わせていけるのですが、ひとりでは無理そうな感触を得ています
・このままだとひとにつられそうです
・自分で自分の音を聞いて合わせる練習が必要かも
終了後、比較的家の近いひとたちは残ってストレッチの練習をしたり、先生の歩く様子を見せていただいたりしていました。
あちこち。
・「ルノワール+ルノワール展」@京都国立近代美術館
・覚悟していたほど混雑しておらず、ゆっくり観ることができました
・照明が油絵に反射し、正面からだときちんと見えない状態だったのが残念です
・息子の映像作品も一緒に展示している、というのを面白く思いました
・画家ルノワールの作品では「座る娘〈エレーヌ・ベロン〉」が好きです 「ピション婦人の肖像」もきれいでした
・監督ルノワールの作品にはあまりぴんと来るものがないなあ、と思いながら回っていたら最後の「フレンチ・カンカン」にひきこまれました
・女性の足をきれいに見せる踊りと、たっぷりとした生地のドレスに弱いのです
・露出の少ない服を着て、それを惜しげもなくまくり上げて見せるという演出の外連味と色っぽさ
・網タイツも素敵だと思います
・品のない、猥雑な踊りというイメージがあり、まあ実際にそうなのですが、それでもひどく楽しそうで、魅力的だと思いました
・一度実際のショーを観てみたく思います
・作品と言うより、「フレンチ・カンカン」という踊りそのものに惹かれたふしもあります
・それでもそれをあそこまで魅力的に、鮮やかな色彩で描いた手腕は評価します
・「恋多き女」のイングリッド・バードマンもきれいでした
・ 連続オープンセミナー「ラグジュアリーの本質」第四回講演会 稲垣直樹「虚飾の快楽と悲劇―?―20世紀のパラダイムとイヴ・サン・ローラン」@京都国立近代美術館
・オートクチュールからプレタポルテに移行する時期のファッション史、イヴ・サン・ローランの生涯
・それを軸に、近現代における現実の仮想化、目に見えるものの虚構化を語っていかれました
・全体的に駆け足、映像資料も切れ切れで全部見せていただけず、ちょっと残念
・とはいえお話は面白かったです
・18世紀の「人間機械論」、人間は機械と同様のメカニズムで動いているという考え方が21世紀には「人間情報論」、人間は情報の集積であるという考え方に移ろうとしている、という論
・イヴ・サン・ローランは「空疎な天才」であり、それがために時代の要請に応え続けることができた
・モンドリアンの絵画をプリントした服など、引用・オマージュを多く用いた
・再提唱、既に情報として流通しているものに再度自分の意味づけをする
・それはオートクチュールの天才、バレンシアガの方法(徹底してマヌカンに合わせたフィッティングを行い、禁欲的なまでに外部の情報―流行など、既存のものすべて―とは関わりを持たない)とは対照的
・イヴ・サン・ローランは生涯を他者(女性)にラグジュアリーを提供することに費やしたが、自分自身がラグジュアリーを味わうことはほとんどなかった人生なのかもしれない
・彼が引退パーティでクチュリエとして最後に残した言葉は、「旅に出たい。そして戻ってきてもういちど服を作りたい」であった
・大成功を収めたイヴ・サン・ローランが求めた最後の、もしかしたら唯一のラグジュアリーは「旅」
・日常とはちょっと違うところに行き、戻ってくる
・そうしてそれは21世紀の文化が体現する「非現実」ではない、日常のなかの非日常 実際にお金を使い、自分の身体でどこかに行き、戻ってくる
・彼は2008年6月1日に死去、存命中に購入していたマラケシュの庭園に埋葬された コバルトブルーの建物が建つ、異国的で不思議な場所
・そこに眠ることは、彼が死してはじめて得たラグジュアリーかもしれない
・「feel about you」(潤井一壮)@ギャラリーはねうさぎ
・デジタル写真のプリントアウトに、原色を使って手描きであれこれ描き足した作品
・あらわれるものがあまりになまなましく、とりわけ人物の写真に描き足しを行ったものは正視するのがつらくて、まともに観ずに通り過ぎそうになりました
・でも写真の切り抜き方は好きです
・描き込みさえしなければ、むしろ気に入った作品群かもと思いました
・なぜこんなことに、と思い作者さんにおはなしを伺ったところ、ここにある作品群はひとりの女性との関係性にまつわる、ほんとうに個人的なものたちのようです
・そのおはなしが面白く、これを聞くと聞かないとでは作品の魅力が段違いのように思いました
・「そのおはなしも含めて作品にすればいいではないですか」ともちかけたくらいです
・が、どうも作者さんはそういうことをしたくないようでした
・確かに、あまり自分から「商品」としてひとに切り売りしたい類のおはなしではないでしょう
・それでもつくらずにはいられなかったのでしょう
・「fukikobore 展 152033」@ギャラリーはねうさぎ
・高校の机と椅子が部屋の隅に置かれ、その引き出しから銀紙に包まれたチョコレートが山ほどあふれ出し、部屋の一角を埋めているというインスタレーション
・作者さんは3人、同級生でタイトルの「15 20 33」はそれぞれ彼らの出席番号とのこと
・高校の頃の夢とかは「甘い」と馬鹿にされがちだけれど、その甘さは必要なものなのでは、というようなコンセプトらしいです
・それなしでも、ともかく机と山ほどチョコレートがあるという状態がきれいで面白く、気に入りました
・チョコレートは段ボールに8箱、通販で購入したそうです
・展示終了後はチョコレートパーティをやるそうです
・ひとついただきました おいしかったです
・作者さんたちはまだ学生さんで、こういう作品を作れてしまうことに「甘さ」を感じます
・そうしてそれは決して悪いことではない、とも
・好きな作品です 総じて好印象
・「内」(田村和子)@ギャラリーはねうさぎ
・白黒の、女性が写っている映像作品
・真っ白な室内の壁に投影され、入り口に白い薄膜のようなカーテンが下げられており、鑑賞者はそれ越しに映像を観るかたち
・ああ、グロテスクなものをきれいにまとめましたね、私の好きな方向性ですね、という印象
・「少女」ほどグロテスクな生き物はいません
・「吉原和惠展」@アートスペース虹
・鮮やかな色のなにかが室内に構成されているという作品
・作品より作者さんのほうが印象に残りました お年を召されているように見えるのですが、作品はとてもポップで、年を重ねた方が使う色、構成という感じがしません
・世界が新鮮に見えているひとが作りそうな作品
・いくつになっても色鮮やかでいることはできるのだと思いました
・3度勧められて、お茶をごちそうになりました
・これら展覧会で面白いおはなしを伺え、それはとてもよかったのですがそのために時間が立て込み、このあとの移動が若干必死なものになりました
・どうも私は遅刻しそうになるたびにだんだん足が速くなっていきます
・維新派ワークショップ
・別記事に
職場では通常、機動性を最優先にした格好をしています。
いつでも全力で走れる靴を履き、丈夫な生地のパンツとシャツ、髪は適当に束ねるかアップにして、お化粧はしていません。
他の方はきれいにしておられるのですが、私は常に力仕事や汚れ仕事にも対応可能な格好でいるようにしています。
窓口業務に出ないため、特に問題もありません。
ひとにお会いする機会ができました。
業務終了後の待ち合わせです。
私は以前からそのひとの作っておられるものが好きで、そういう機会を得られたことがほんとうに嬉しく、なるたけきちんとした身なりでお会いしたいと思いました。
が、私の普段の格好は上のようなものです。
服は普段と違うものに、お化粧はきちんとするにしても、髪はどうしましょう。
ばさばさした印象にならないまとめ方をあれこれ試してみたのですが、なかなか巧くいきません。
そこで、職場の女性陣にご相談してみました。
皆様、既婚でお子様もおられるくらいの年代です。お洒落に関してはたくさんの経験をつんでおられるはずとお見受けしました。
お昼休み、歓談中の輪に入って切り出します。
「髪がばさばさにならないこつとかありませんか?」
「え、急にどうしました」
「明日大事なひとに会うので、きちんとしたいんです」
そう言った瞬間、皆さんの雰囲気が妙に楽しげなものに。
あらあらまあ、いいわねえ若い方は、というようななんともいえない祝福を込めた暖かな目がこちらを向いて、そこになんだか凄い誤解を感じるのですがどう訂正してよいのかわからず。
ちなみに髪をきれいにまとめるこつについては、
「そのままで十分きれいだから自信を持って」
という励ましで流されました。
お洒落に関する相談は難しいものです。
今日の昼間、職場の建物外でとかげを見つけました。
遊んでみたく思い、ぱっと尻尾を押さえてみたら、ぱたぱたっと自切した尻尾だけを残して逃亡されました。
悪いことをしてしまった、と思いながらも残された尻尾がぴょんぴょんと跳ね回る様子が可笑しくて、摘んでみたりくすぐってみたりとひとしきり指でじゃれてみます。
とはいえこれを職場に持って帰るわけにはいきません。
かといって自分のせいで切られてしまった尻尾を放って帰るのも、なんとなく気が引けます。
どうしたものでしょう。
考えていると、草陰から別のとかげが現れ、跳ね回る尻尾をさっと口に咥えました。
そのまま臆することなくきれいな目でこちらを見上げ、ゆっくりと尻尾を咥えて草陰に去っていきます。
私にはただ、その背中を見送る以外なく。
あのとかげはあのあと、尻尾をどうしたのでしょう。
食べたのでしょうか、本来の尻尾の持ち主に返したのでしょうか。
あのとかげにとって、同族の尻尾はどういう意味を持つ物体だったのでしょうか。
跳ね回る尻尾を咥えた口、こちらを見上げた目、悠然と去っていった後ろ姿。
あれはひとつの物語であったと思うのです。
得難い情景に出会えたと思うのです。
思うのですが、以前のようなことがありましたので、職場の誰にもお話しできませんでした。
電話が苦手であがり症の私が、自分の中でまとめ切れていない案件をお伝えするにあたり、どうして電話を掛けてしまったのでしょう。
メールを書こうにも文章がまとまらないものを口頭で、しかも電話で巧く伝えられるはずがありませんのに。
そうして案の定しどろもどろ。
どんなかたちであれ、今伝えたいと思いました。
それは正しい判断ではなかったのかもしれないけれど、今しかないのだと思いました。
以前、結構な期間にわたって
「身体操法をやってみなさい」
と勧めてくださっていた方がいて、だけれど私は身体を動かすのが巧くないことにコンプレックスを抱いており、誰かに運動を習うということに恐怖感すら覚えておりましたので、あまり気乗りしません、まあそのうちやります、とお茶を濁し続けてきました。
そのうちやりとりが途絶え、お勧めをいただくこともなくなりました。
維新派のワークショップに通い出したのは、その方の言葉が気にかかっていたからで。
稽古をはじめてみて、お勧めが正しかったことを知りました。
反復と調整で自分の身体が少しづつ思い通りに動かせるようになっていくこと。
できなかったことができるようになること。
それが自分のありかたに齎す影響はとても大きくて。
身体の鍛錬が精神のありかたをすこしずつ変えているように思います。
前よりも胸を張れるようになりました。
それは私にとってほんとうに画期的なことで。
あの方は、こうなることを知っていたのでしょうか。
私に欠けていたものを、それを補う方法を。
勧めに応じず、自分の苦手分野を嘆きながらもぐずぐずと行動に移らない私をどんな思いで見ておられたのでしょうか。
正しい言葉を貰っていたことに今頃気付きました。
お礼を言いたいと思っています。
だけれどあれはもう随分前のことなので、私はもう忘れられてしまっているのかもしれません。
筋肉痛の足に負担をかけない歩き方を探していたら、「腰から歩く」というのがどういうことなのかわかりました。
楽に早く動けます。
6月21日
・維新派ワークショップ 歩く練習
6月22日
・筋肉痛
・でも自転車で遠乗りに行きました
・歩くのに使う筋肉と自転車で走るのに使う筋肉は別なので、特に問題なく過ぎました
6月23日
・もう脚部の全てが筋肉痛
感想
・足が痛いと、歩くのに使う部位を意識することができます
・これだけ筋肉痛になるのなら、練習のあとにお肉を食べるようにすればよい筋肉がつくのかもしれません
課題
・おいしい肉料理のレシピを探してみましょう