飲み物を保温できる便利な器、サーモマグを導入しました。
なるほど、珈琲もお茶も注いでからしばらく温かいままです。
これはよいものですね、と感心。
数分後、自分の猫舌では注いでからしばらくの間飲み物を口にできないことに気付きました。
飲み物を保温できる便利な器、サーモマグを導入しました。
なるほど、珈琲もお茶も注いでからしばらく温かいままです。
これはよいものですね、と感心。
数分後、自分の猫舌では注いでからしばらくの間飲み物を口にできないことに気付きました。
「文学」とは「私」でない誰かのために「私」がなしうることではないのか
ほんとうに気に入った、自分にとっては完璧と思えるような作品については語りづらく思えます。
むしろなにかが欠けているような作品のほうに、語る余地を多く見出せます。
とりわけ、完璧と思える作品の感想を文章にするのは難しいことだと感じます。
ひとに話すのであれば、「ほんとうに凄かった、とにかく良かった、お勧めです」というような言葉が口調や勢いである程度伝わり、語彙以外の部分で説得力を生じさせる可能性があります。
しかしながら文章となるとそういうわけにはいきません。
よい、と感じたものを上手に紹介してお勧めできないことを、無条件に絶賛できない作品について語る言葉のほうが多いことを、歯がゆく思います。
定期的にひきこもります。
ここ何ヶ月かはそういう時期で、外出の頻度が落ち、部屋で過ごす時間が増えていました。
で、今日机の隅に置きっぱなしになっていたチラシなどを整理していたら、今月は面白そうな舞台がいくつもあったのに気付きました。
ひきこもるのに夢中で、行きそびれてしまいました。
すこぶる残念です。
外側に対して開いた部分を残しておかないと、見逃してしまうものがあります。
時々は閉じて内側に篭る時間を持たないと、失われてしまうものがあります。
重要なのは相応の加減です。
何もしない時間も必要です。
そうしてそれは、多すぎても少なすぎてもよくないのです。
ひきこもっている間にも時間は流れていて、外には常に面白いものがあり、それは移ろい続けています。
いつでもそれを見逃すだけの価値のある時間を過ごせているかどうか、自問し続けることで自分がいるべき場所は今どこなのかが見えてくるように思いました。
時間が有限であることを忘れるべきではありません。
後藤ひろひと作・演出の「Shuffle」を観ました。
今回観たのはWOWOW放映分の録画です。
あまりの普通さに驚きました。
決して凡庸な舞台というわけではありません。
役者さんの演技は色彩豊かですしキャラクターは変わり者だらけ、話の展開にも仕掛けがあり退屈しません。
ですが、これまで後藤ひろひと作品を観ると、必ずどこかに感じた「釈然としなさ」がないのです。
これまで観た作品群では、
「一見ハッピーエンドだけど、よく見ればあのひともあのひとも犠牲になったのに何も変わらず、主人公は当初の不幸な境遇のまま?」とか
「あの人物は伏線でもなんでもなく、ただそこにいたひとなの?投げっぱなし?」とか
「あそこでああいう事件さえ起きていなければ、まだ合理的な解釈の余地が残るおはなしになるのに……これだと、超常現象を認めない限り説明がつかないおはなしになってしまう」とか、なにかしら納得のいかない点が残るのが常だったのです。
そうしてその引っ掛かりが、私にとって後藤ひろひと作品を「他とは違う、普通でないもの」と認識させていました。
「Shuffle」にはそれがありませんでした。
いえ、あるにはあったのですが、これまでとは違う感想を持ちました。
達成しないまま忘れられた目的、登場人物に神の視点がなければ説明のつかない行動、そういうものは今回もありました。
だけれどそれがひどく引っかかって物語に集中できなくなる、ということがありませんでした。
ともすればそれらを見逃しそうになっていたくらいで、観終わってからすこし考えるまでそれらの矛盾点に気付きませんでした。
この作品は2005年のもの、私がこれまでに観た後藤ひろひと作品の中で一番新しい作品です。
この方はどういう過程を経てここに辿り着いたのだろうと思います。
古典的な物語を踏まえてからあえて観客に引っかかりを残す作品づくりに移り、そこからまた楽しく消費しやすい作品づくりに回帰したのでしょうか。
はたまた元々この「釈然としなさ」は意図したものではなくて、作り手の進化とともにそれから脱却しつつあるのでしょうか。
単純に、細かいことが気にかからなくなるくらいに観客を熱中させる力がある舞台だったと受け止めるべきなのでしょうか。
なんにせよ、楽しめてしまいました。
役者さんの演技を、奇妙な設定を、まとまりよく繋がる展開を。
私がこれまでに観た後藤ひろひと作品の中で一番すっきりと楽しめた作品でした。
荒い言葉遣いを辞さずに言えば、「普通に面白い」作品でした。
そしてそれが作り手の意に沿う感想なのかどうか、量りかねています。
「ごくまれに、他者から深く強く影響を受けることがあります」
「ふうん」
「そうなると、その方がいない場所でも、なにかに遭遇するたびについつい『あの方ならどのように対応するだろう、あの方なら何と言うだろう』と考えてしまいます」
「ほう」
「自分の内側にその方が常にいる状態で、しかしそれは『私の思い浮かべるその方』であって、その方とは異なる影に過ぎません」
「そうだね」
「誰かの影を見続けるのは、その誰かの不在を確認すること、自分がひとりであることを常に意識することでもあるので、寂しいものです」
「ううん」
「しかしながら一旦そこまでの影響を受けてしまうと、最早容易にはそれを意識から外すことも叶いません」
「そうなの?」
「例えるなら、気付かないうちに常時起動のアプリケーションが勝手にインストールされていて、アンインストールもできなくて、削除しようにもレジストリに山ほど書き込みされていて手に負えない、そういう状態です」
「それならフォーマットしてOS再インストールすればいいよ」
「うん。うん……ええと、それはつまりどういう状態?」
「人生☆リセット?」
「ないから。人生にそんなボタンはないから。あるのは押したら二度と復帰できない電源ボタンだけだから」
「まあ、それでもいいんじゃない?行き詰っているなら押してみたら?」
「うん、それ死んじゃうからね?君は極めて婉曲な表現で私に死ねと言っているのだよね?」
exciteブログでyoutubeの動画を貼り付ける方法(爪紅ブログ)
・exciteブログにyoutubeの動画を貼り付けるには、最後を閉じない「壊れたタグ」を使う必要があります
・動画の後ろに別のタグを貼ろうとすると、そのタグと動画タグがくっついてしまい、きちんと表示することができません
・なので、動画のあとに記入できるのは平文のみ
・記事の最後に動画を置くときのみ、
HTMLタグには、一部使用できないタグがあります。としてembed、objectタグを例に挙げています
ひとからお勧めいただいた「夜な夜な夜な」という曲、およびその非公式PVがとても気に入りました。
京都にいました。
・ドイツ・ポスター 1890--1933(京都国立近代美術館)
・作品にはキャプションがついておらず、手持ちの作品目録と見比べながら鑑賞する形
・作品目録の裏はポスターになっていました 粋です
・額入りとはいえ、壁にずらりとポスターが並んでいる様子は、異国の町並みを見るようで面白く思いました
・ポスターは文字情報の比率が高いため、ドイツ語が読めないことを残念に思いました
・絵を見て、目録から該当作品を探して書かれている内容を理解して再度全体を見て、という手続きを踏んでいるうちに、作品を観察しているのか読解しているのか鑑賞しているのかわからなくなってきて、なにか純粋に楽しめなかった気がします
・私は今回、とりわけ正しくない労力を払っていたような
・もっとさらりと眺めて、目に留まるもののみをしっかり観るようにすればよかったと、今になって思います
・今回一番のお気に入り作品はエルンスト・ドイチュの「メルチェデス・タイプライター」
・女性が実に色っぽい、かわいらしい顔をしていました
・骨董店
・店名を失念しました ガラス器を多く取り扱っているお店
・白地に侍の絵を書いた、西洋風のティーセットを見つけました
・絵柄は和風、装飾に金をふんだんに使っていて、島津の家紋が入っているというもの
・薩摩焼で、海外への輸出用に作られたものだそうです
・三月書房
・ここの品揃えはいつも素敵なので危険です 心の中できゃあきゃあ言わざるを得ません
・しかも覗くたびに新しい出会いがあります
・今回はアトリエサードのトーキングヘッズ叢書が気になりました
・私はつくづく少女に弱いです
・masaya midori exhibition the beautitudes vol.2(Halo Galo)
・二条柳馬場のカフェに併設されたギャラリースペース 偶然立ち寄りました
・階段を上がっていくと、1階に通じる吹き抜けを見下ろせるロフトのような狭い空間にウエディングドレスがぎっしり、という趣向
・かつて確実にこの衣装の内にいた、幸せな女性たちの記憶
・場所の性質と不思議に合ったインスタレーションでした
・作品ファイルを見たところ、他には豚皮などを素材としてよく使う作家さんのようです
・出産、結婚など、女性性に繋がるテーマが多いような印象
・20代半ばという年齢故に感じること、考えることがそのまま作品作りに繋がっているような
・今後の作品が気になります
・堀川三条〜西大路三条
・商店街を発見
・若者たちがわらわらと何かの撮影をしていました
・どうも人物をCG合成して、画面の中ではお侍さんがちゃんばらをしている画像にしている様子
・何を撮っていたのでしょう、気になります 聞けばよかった
・服屋さんを眺めてあれこれ試着していたら、店主さんに「3着とも買ってくれるなら、1000円でいいよ」と、破格の値引きをしてもらえました
・シーズンオフの割引と開店セールだそうです
・開店してまだ2週間のお店だそうです 宣伝を頼まれましたのでここに一筆 お近くをお立ち寄りの際は覗いてみては
・宣伝を頼まれたのに店名を聞いていませんでした
・なんだかんだで結局岡崎公園から西院まで歩いてしまいました
・なかもと真生 家屋展示 "Black Box"
・ダイレクトメールをいただきました
・7センチほどの正方形をした段ボールにプラスチックの薄板と印刷した紙をざっと接着剤で貼り付けた、荒っぽい印象のお手紙
・この方の作品はどれも、緻密な作業とは程遠い、素材のなまなましさが残るものばかりのように思います
・そこに却って繊細さを感じます
・私は本来精巧な細工品のような作品のほうが好きで、こういうのは好みではないはずなのですが、なぜか気にかかります
・会場が住宅街でした とても入り組んだ場所
・移動中「実は来て欲しくないのかなあ」とさえ思いました
・地図はわかりやすかったのですが、暗い時刻に知らない住宅街を歩くことには何かおそろしさを覚えます
・普通の家に見えるドアを開けたら、普通に作者さんが2階から降りてきました
・知り合いの家を訪ねたような錯覚に陥り、ちょっとどぎまぎ
・2階に上がると、工場や戦闘機のモノクロ写真で床も天井も壁も埋め尽くされており、床にはガラスが一面に散りばめられていました
・切抜きを画鋲で止めてある形
・踏むとぱきぱきと音を立ててガラスが砕けます
・照明は白熱灯の裸電球 狭い部屋
・ひどく圧迫感のある空間で、この部屋にずっとひとりでいるのは新しい拷問のようだと思いました 作者さんの健康がすこし心配になりました
・そこに知らない方と一緒にいるというのも、ひとみしりの私にとってはやや息苦しい体験でした
・とはいえ、その息苦しさも作品の一部、得がたい体験とも思えました
・ある程度時間が経つと息苦しさが反転して妙な居心地の良さ、離れがたさを感じたりもしました 不思議です
・作者さんとすこしお話させていただきました
・前回の水没教室もそうでしたが、ありふれた素材、あるいは既にそこにあるものを用いてこれまでにない体験を引き起こす、ということに長けている方のように思います
・すごい、のですが、なにか手放しで褒めるのが悔しいような、ちょっと留保を置きたくなるような、変な感覚を覚えます なぜなのでしょう
・なんにせよ、この方の作品は次が楽しみです 応援したい作家さんです
・a.t.o.m.(KYOTO Club Bar BILLY)
・ロック系のクラブイベント あまり縁のない場所です
・がちゃがちゃ騒がしい場所を覚悟していたのですが、民族音楽っぽいのも流れていて意外とのんびりできました
・照明が不思議で、ついついぼうっと眺めてしまいました
・DJさんが交代してからは一転して大きな音、目がちかちかする照明に代わり、知人と話をするのがつらい状態でしたので、別の場所に
・DJさんによって音楽の流し方、盛り上げ方などが違うのだそうです
・クラブなんて私には合わない場所だとばかり思っていましたが、音楽の質によっては意外と楽しめるのだなあと思いました
終電で帰宅。