昨年は、ほとんど旅行らしい旅行に行きませんでした。
もうきっと、どこにも行かないのだと思います。
そう思うのは、これがはじめてではないのですが。
去年は旅行にこそ行きませんでしたが、どこかに定住していた気もしませんでした。
いつか、きっと、どこにも行かなくてよくなる気がしています。
いつまでも、このまま、どこにも留まれない気もしています。
どちらも、同じくらいの強さで。
昨年は、ほとんど旅行らしい旅行に行きませんでした。
もうきっと、どこにも行かないのだと思います。
そう思うのは、これがはじめてではないのですが。
去年は旅行にこそ行きませんでしたが、どこかに定住していた気もしませんでした。
いつか、きっと、どこにも行かなくてよくなる気がしています。
いつまでも、このまま、どこにも留まれない気もしています。
どちらも、同じくらいの強さで。
旅先で、フリーペーパーをもらってくるのが好きです。
観光地やお店の紹介、その土地のひとが書いたものたち。
その場所をすこし持ち帰るような気持ちで、鞄に入れて移動のおともにしたりします。
旅行が終わったあとも保管しておいて、ときどき眺めて懐かしんだりします。
そうしたものが結構な量お部屋に溜まっていたので、昨年末の大掃除に整理しました。
7年ほど昔のものまで混ざった、お寺の案内文、舞台のチラシ、大学の広報、さまざまな場所の様々な言葉たち。
いろいろなところに行ってきたものだと思いました。
私はいつだって全部忘れてしまいますから、ついこういうものをよすがにしてしまいます。
整理して、いくらかを処分して、いくらかを再度物入れにしまいました。
毎年、こうして読み返しては、少しずつ数を減らしています。
ほんとうは、これらは生活に必要のないものなのですから、潔く一切を捨ててしまったほうが合理的だと、わかってはいるのです。
ですがそれでも決心がつかず、このように中途半端な減量に留めてしまいます。
このように、削られるように減っていくのが、正しいような気がしています。
全てを覚えていることはできないけれど、忘れていくのはゆっくり、すこしずつにしたいのです。
どうやったっていつかは全部、なくしてしまうのだとしても。
ちいさい頃から、本ばかり読んでいないで外に出て遊びなさいと注意されるのが常でしたので、今でも、たくさん本を読んでいますね、的な指摘を受けると、なんとなく怒られるような気がしてすこし身構えます。
本日、おやつに5粒ほどぎんなんを食べました。
私は、ぎんなんにアレルギーを持っています。
昨年でしたか、発症したときには顔が腫れ上がり表皮がぐずぐずにかぶれ、二目と見られぬ顔でしばらく過ごすことになりました。
どうにか治療はできないものかと考えていたら、ごく微量のアレルゲンを摂取し続けることで、発症を防ぐという方法を教えていただきました。
それに伴い、気が向いたときに、ほんのすこしだけぎんなんを食べてみるようにしてみたのです。
どの程度の量で発症し、どの程度ならセーフなのかは、体調と直感で判断するよりありません。
一歩間違えれば顔が腫れ上がる、綱渡りの治療法です。
今日も、そうっと5粒食べたところで、唇がぴりぴりとしてきました。
明日まで発症がなければおそらく安全ですが、摂取量が閾値を超えていた場合、また腫れ上がった顔でしばらく過ごすことになります。
もちろん、ぎんなんを食べずにおけば、このような危険を冒す必要はありません。
でも、好物なんです。
ぎんなんが好きなんです。
そういう事情ですので、もし明日以降私がマスク等で顔を覆っているのを見かけることがありましたら、ああ失敗したのだなあとお察しください。
なお、ぎんなんはおいしかったです。
お仕事を辞めたとき、自分が世界から切り離されてしまったような気がしました。
これまで時間に追われていたのが、急にやることがなくなって、とりあえず無為に、自分の心地のいい環境を作って。
誰の役にも立たず、誰からも必要とされず、ただ時間を過ごすためだけの時間が過ぎて。
社会との接点がなくなってしまったようで。
ああ、ここは世界の外側だ。
誰もいない、ひとりぼっちの場所だ。
そんな風に、思っていました。
だけれどそれはもちろん錯覚で、社会からは外れていたかもしれませんが世界の外側なんかではなくて、さらには社会にだって、求職者を組み込む場所はしっかり用意されていて。
探せば、そういう場所はきちんとあって。
昨年末から、求職者向けの支援制度を使って、専門学校で講座を受けています。
様々な年齢や経歴を持った、同じくお仕事のない方たちと、一緒に勉強をしています。
ひとといるのは得意でないので、やっぱり幾分緊張しますが。
今通っているのはあくまで、お仕事に繋げる技能を身に付けるための場で、 ずっといられる場所でもないのですが。
ここは世界の外側ではなく、周りにひともいることを、今の私は知っています。
例年、夏になればやせ、冬になればふくよかになり、季節に応じて体重が5キロ程度は軽く変動するのが私の常態であったのですが、今年は運動をはじめて体重も気に掛けていたせいかさほどの変動なく過ぎそうだと思いきや、数日前の夜に無性に甘い物が欲しくなり、深夜に羊羹を半分ほど平らげるという暴挙に出てしまい、ここのところこうも暴食に走ることはなかったというのにこの振る舞いはどうしたことか、ストレスでしょうかはたまた悪い病気でしょうかと若干不安になりつつ眠りについて翌朝目覚めたら大雪で、なんというか、今年も私の身体は非常に正確です。
お正月は家族が集まり、大層にぎやかでした。
皆が集まっているところで、昔のホームビデオを観る機会がありました。
テレビに映し出される、かつての、家族が多かった頃のうちは、概ねいつも、騒々しいほどにぎやかな様子で。
そこに時折映るちいさな私は、カメラを向けられれば笑ったり歌ったりするのですが、なにかにつけてふいっと姿を消してしまうのが常でした。
ビデオの上映中、今の私もにぎやかな席に時々飽きて、ふらりと自室に篭もりました。
静かな部屋の中で、自分があの頃とあまり変わっていないのに気付きました。
ずっと、ひとりになりたかったのです。
家族のことは大好きでした。
みんなといるのは楽しいことでした。
ただ、ずっと一緒にはいられませんでした。
そうして、家族もそれを知っていました。
だから別段引き留めず、さりとて疎外もせず、各人の心地よい範囲で、よい距離を保ってくれました。
それは私にとって、ほんとうにありがたいことでした。
今年も、家族と話したり話さなかったり、一緒にいたりばらばらに過ごしたりしながら、楽しいお正月を過ごすことができました。
うれしいことです。
今も変わらず私はさびしがりで、完全にひとりにもなれないし、誰かとずっと一緒にもいられません。
お気に入りの電気あんかを抱いて眠ったところ電気コードがぐるぐると体中に絡みついて緊縛された状態で目覚めるという希有な朝を迎えることに。