先々週に「レイトン教授と不思議な町」と「レイトン教授と悪魔の箱」の2本をクリアしました。
先々週に「レイトン教授と不思議な町」と「レイトン教授と悪魔の箱」の2本をクリアしました。
「ただ、君を愛してる」(新城毅彦)
脚本担当の方はあまり写真という表現に思い入れがないのかなあ、と思いました。
それに比して映される写真には撮り手の誠実な目線が感じられ、なにかこうちぐはぐな感じが。
ふたりで並んで写真を撮る、という場面を見て違和感を覚えました。
世界を切り取るときはいつだってひとりです。
その作業を誰かと並んで行うというのは、どういう気分のものなのでしょう。
誰かが一緒にいることで書けなくなるものはあります。
誰かが一緒にいないと書けないものもあるでしょうか。
あるとすれば、それは。
今、私の横には誰もいません。
大阪が議題にのぼりました。
「大阪はアジアらしい街だと思います」
「俺は大阪のイメージからニューヨークを連想する」
「自分はロンドンを思い浮かべる」
「私さあ、大阪のひとっぽいってよく言われるねん」
「みんなの心の中に、それぞれの大阪があるのだと思います」
「俺の大阪はニューヨーク」
「俺ロンドン」
「私なあ、大阪のひとっぽいってよく言われるねん」
「いつでもどこにいてもインターネット上の膨大な情報にアクセスできる」という状態はひとの思考形態に大きな変化を齎す気がします、というおはなし。
タイトルの「Google」は「Yahoo」や「Clusty.jp」に置き換えても問題のない文章です。
・記録されているものは、記憶する必要がありません
・都度辞書を引けば事足りるのに、その内容を全て覚える必要があるでしょうか
・しかしながら、多くを記憶することで思考の速度は増しますし、組み合わせる材料は確実に増えます
・南方熊楠は和漢三才図会など多くの書物を暗記していました
・漢字を知らなくとも、パソコンを使えば文章を書くことができます
・予測変換機能のついた端末なら、頭の中にある語彙を探す手間さえある程度省くことができます
・手書きの文章とキーボードを使って書かれた文章、さらにその中でも高度な変換機能を用いて書かれた文章はそれぞれ別のもののように思います
・私はもう、手で筆記具を持って文章を書くことができません
・すくなくともそれはキーボードで打つのとは別のものになります
・知識がなくとも、検索と引用を繰り返すことでできるものがあります
・それは創作や思考と呼んでいいものなのかどうかわかりかねます
・機械がない時代には生まれ得なかったもの
・そうして、私たちはもはや機械がない時代に戻ることはできません
・インターネットでみつけることのできない情報のほうが多いはずです
・しかし、現在ひとりのひとがインターネット上にある情報の全てを把握することはもう不可能です
・そうして刻々とその量は増えつづけます
・それは、ある意味では無限とあまり変わらない量の情報です
・ただしこの場合「ある意味では」という留保がとても重要です
・いつでも参照可能な情報が増えることで、考えないひとが増える可能性
・情報収集や記憶のために割いていた労力をほかに移せるようになり、より豊かな思考を持てる可能性
・どちらにしても環境が変われば確実にその中にあるものも変わります
・世界に全く新しいものは存在しなくて、あるのはただ忘れられたものだけなのだといいます
・全く同じ情報を誰でも同じだけ参照できるようになったとき、個性はどこに生じるのでしょうか
・何を知っているか、ということと同時に、何を知らないか、ということが個性になりうる気がします
・旅の道連れ(滋賀会館)
・まさかの再演
・初演を見ていたので新鮮な驚きはもうないかと思っていたのですが、今回もやられました
・開演前から深水郁さんの歌声が会場内に響いており、そのきれいさに圧倒されました
・録音にしては音が随分澄んでいて、強い響きを持っていて、どういう音源なのかと不思議に
・終演後「あれはあちこちの物陰に隠れたり、移動したりしながら、みつからないようにこっそり歌っていたんですよ」と教えていただきました
・それにしては全く音に篭りや揺らぎがなかったことに二度びっくり
・プロの方はすごいです
・ダンサーでない方が多く、最年少の出演者さんなどはまだほんの子供という言葉が似合う年齢ですのに、「異ジャンルだから」「子役だから」と甘えや媚のある動き、振る舞いをする方はひとりもおられませんでした
・終わった後、幕が開いて広がる風景が先回と違うものになっていました
・初演はしんみりした気持ちで席を立ったのに対して、今回はまた全く違う幕引きでした
・DVDの発売予定があるということで期待していたのですが、著作権の問題等で本編を収録することが難しく、メイキングを加えた抄録になるようです
・施設の老朽化と維持管理費の問題を理由に、滋賀会館の大ホールは2008年9月末で使えなくなってしまいます
・「滋賀会館」という場所の特性を最大限活かした舞台である以上、この舞台をこの形式で目にすることは、もうできないのかもしれません
・もっと多くの方に見ていただきたい舞台です 本当に惜しく思います
・終演後のロビートークのテーマが「公演内容について」ではなく「滋賀会館の今後をどうするか」になっていました
・それは奇妙な状況のはずなのに、妙にしっくり来ました
・この場所が好きです
京都に行ってきました。
・京都国立博物館 憧れのヨーロッパ陶磁
・パット・シュル・パット(技法)
・エオシン釉
・途中にテーブルを置いて、実際にテーブルウェアをセッティングしている場所あり
・フリッツ・ホッホベルク伯爵からの寄贈品
・解説文「1回目の寄贈品に対するお礼状に、一部が破損していた旨書いたところ、気を使って2回目に別の品を送ってくれたらしい 親切な人である」
・別の解説文「寄贈は日本側から依頼したようだ 実に親切な人である」
・最後の一節は必要なのでしょうか
・係の方が楽しんで展示を構成している印象を受けました
・ものの背後に置く色も、棚そのままの色、あるいは白や黒を無造作に使うのではなく、そのものの色を活かす色の紙を選択してありました
・総じて展示のありかたに好感をもちました
・東欧とロシア音楽演奏会
・目当てであったテルミンの竹内正実さんは出演中止 残念
・マトリョミン、不安定な感じが味なのでしょうか
・クレズマー、初めて聞きました 好みの音楽です
・とりわけ高橋延吉さんのドラムが素敵でした
・特に楽しくもなさそうな顔で、とても楽しい音を響かせておられました
・普段はジャズドラムを叩いておられるとのこと また聴きたいと思いました
・トーダルさん(ベラルーシ音楽)
・演目のひとつ「村祭」が面白すぎて、そればかり印象に残ってしまいました
・というかそこで一緒にステージに立ったオーナー姉妹が逸材すぎました
・盆踊りのお囃子「あ、そーれ」を会場に唱和してもらおうと、声を上げながらなぜか握りこぶしを天高く突き上げるオーナーさん
・無表情で、盆踊り風なのだけれどなにかが違う、フラダンスのような呪術のようななんともいえない踊りを踊るオーナーさんのお姉さん
・笑いの零れる暖かいステージで、とても楽しくはあったのですが、あれは意図した笑いであったのかどうか 謎です
・アンコールでは自ら笑いを取りに行っていたふしもありました
机の隅にリボンのかかった箱が置かれているのを発見しました。
いつから置かれていたものか判然としません。
あけてみると、チョコレートが入っていました。
ああ、そういえば先週はバレンタインデーでした。
きっとどこかの内気な方が、私に面と向かって渡す勇気がなく、こっそりと目立たぬ場所に置いてくださったのでしょう。
ありがたいことです。
問題は今日が22日だということです。
ここのところ少々忙しかったとはいえ、バレンタインデーを一週間以上過ぎるまで贈り物を放置してしまいました。
贈り主の方が気を悪くしていなければよいのですが。
言い訳しようにも、誰からの贈り物なのかわからないもどかしさ。
どなたか存じませんが、ありがとうございました。
おつかいを頼まれました。
上着を取りに行く時間がなく、薄着のまま外に出ることになりました。
寒いので、走っていくことにしました。
程よく体温の上がった状態で職場に戻ってきました。
そうすると暖房の入った室内は暑く感じられました。
シャツを脱いで半袖の薄物だけを着た状態で業務を再開しました。
快適です。
燃料費高騰の折でもありますし、薄着で過ごすと代謝がよくなるという説もありますし、歩くよりすこし早く目的地に着きますし、走るのはとてもよいことなのかもしれないと思いました。
ただ、皆さんが暖かそうな格好をしている2月の職場でひとりだけ半袖一枚の格好でいると、なんだかとても頭がかわいそうなひとのように見えてしまうのをどうしたものでしょう。