4月の末から5月の頭にかけてすこし長めのお休みをいただきました。
自由になる時間はたくさんありました。
それなりに外にも出かけ、季節を愛でたりして過ごしました。
仕事に復帰して自由時間が減ってからのほうが、その頃より更にあちこちに出かけて色々なものを観ています。
4月の末から5月の頭にかけてすこし長めのお休みをいただきました。
自由になる時間はたくさんありました。
それなりに外にも出かけ、季節を愛でたりして過ごしました。
仕事に復帰して自由時間が減ってからのほうが、その頃より更にあちこちに出かけて色々なものを観ています。
「The Passhing 01-03 Wash」(Monochrome Circus)
・不覚にも開演ぎりぎりに会場到着
・でも最前列の真ん中近く、よい席でした
・最前列が好きなので嬉しく思いました
・折角演じるひとを目前にできるのですから、なるたけ近くで見たいと思う性質です
・舞台には工事現場などで建物を覆うのに使われるシートが幕のように張られ、最前列だと目の前を覆われたような格好になります
・座っていると、何の合図もなく黒いパーカーを着た男性が入り口から入ってきて、席のほうを向きながらぎしぎしと身体を強ばらせて動き、煙草を取り出して火をつけて、吊られていたシートが目の前で落ちて
・そうして、舞台が開かれます
・4名のダンサーが、短い、物語のあるようなないような動きをしては去っていき、あるいは留まり、その連続で構成される流れ
・落ちてきたシートを境に舞台と客席が分かれるような様子になっているのですが、ダンサーはときにシートを踏み、客席ぎりぎりまで身を乗り出してきます
・境界を侵犯してくるような、こちらの内側まで入り込んでくるような舞台
・冒頭の断片
・男性が黒いパーカーをほかのひとりに着せ、着せられたひとりはほかの三人にもみくちゃにされます
・しばらく翻弄されたあとそのひとりはパーカーを脱ぎ、別のひとりに着せます
・すると今度は着せられた人間に標的が移る、その繰り返し
・このパーカーと似たような衣服を「true/本当のこと」でも見たように思います
・ともかくひとに触れること、関係することそのもののような動きが多く、非常に色っぽいと思いました
・ひとりがひとりの指を咥え、そのままの状態で動くシーンなど
・服を脱ぐ場面もあったのですが、そういうのとはまた違う、動きだけで触れるだけで発生する、匂い立つような色香
・ほとんど普段着のような服装に、女性3名は大振りな首輪
・途中から敷物のような毛皮が4枚出てきて、それにくるまったりその上での動きがあったり
・身につけるものは内面を顕すものでもあり、外部と接触する境界でもあります
・それを選ぶということ、外すということは
・動きの美しさに揺すぶられ、暴力的なくらいの力で引き込まれました
・アフタートークで「観ながら現代社会の様々な問題を想起させられた」という感想が出ていましたが、私はそうではなく、観ることだけに集中せずにはいられず、上演中ほかのことを考える余地がありませんでした
・森裕子さんが大の字に手足を広げて立つシーン
・立っているだけではあるのですが、身体の中でちからが動いている、流れがあるのが見えて、視線を奪われました
・ごく短いシーンであったと思っていたら、アフタートークで「3分間、ただ立っているだけのシーンがあって」というおはなしを聞いてびっくり
・3分の長さを感じませんでした、時間の感覚が狂うような密度のある体験でした
・そういう動きを次々に眼前に繰り広げられて、引き込まれない道理があるでしょうか
・途中でポップコーンの原料が舞台にばらまかれました
・舞台の隅で電気鍋を用いてポップコーンが作成されました
・いい匂い
・「旅の道連れ」でバイクの排気ガス、こぼれたビールの匂いなどがこちらに伝わってきたのを思い出しました
・今回も煙草やポップコーンの香りを嗅ぎ、映像や出版物では難しい、舞台でこそできる仕掛けだなあと感心しました
・香りも舞台と客席の境界を越境する媒体です
・森見登美彦の小説に、「全裸より破廉恥な格好」として「桃色のブリーフ一枚」というのが挙げられ、その格好で踊るひとびとが描写されていました
・それはあくまで小説のおはなし、現実の世界で生涯そのような格好の方を拝見することがあるとは思っていませんでした
・「思っていませんでした」と過去形になっている理由はお察しください
・得難い体験をしたのだと思います
・アフタートーク
・坂本公成さん、ゲストに服部滋樹さん(graf代表)、進行はアトリエ劇研の杉山準さん
・演出家自ら、プラスチック椅子に舞台装置の毛皮を掛けて舞台をセッティング
・壇上の方は紙コップ一杯ずつのビールを手にお話することに
・ほかの方は存じませんが、坂本さんは絶対あれでは足りなかったのでは、せめて瓶、できれば樽が必要だったのではと心配になりました
・筆記用具を受付に預けてしまい、メモを取ることができなかったので断片的に
・以降は記憶の断片です、実際のおはなしの時系列に沿っていません
・タイトルはビル・ビオラの作品から
・母の死を映した映像作品
・12月にこの公演の断片を上演した
・(2007年12月 「The Passing 01」@アトリエ劇研)
・ダンサーの身体の中にあるものをダンスにしていく 作り物のダンスをやっても仕方がない
・冒頭の黒いパーカーは、茨城の連続殺傷事件で犯人が警察に「早く捕まえろ」という電話をかけたという話がモチーフになっている 早く捕まえて欲しい
・誰かを殺してやりたい、と思うような気持ち、獣性みたいなものは自分の中にもある ダンスでそれを洗い流すことが出来る
・「ヨガとかいいですよ」
・(観ていて今の世相、様々な事件がフラッシュバックした、との指摘に)当初はピュア・ダンスをやりたかった でも純粋にダンスを見せるって何だろう
・自分は社会と、世界と繋がっていて、それらと完全に無関係であることはできない
・服部滋樹さん:自分はひとより巧く絵を描くことができる アイデアがあってもそれを絵にすることができないひとのために「それはこういうことなんじゃないの?」と、描いてみるために自分は存在する、描かなければならないのだという気持ちがある
・同:隙間があるほうが愛される 完璧にデザインしすぎないように心がけている 腹八分目くらいが丁度いい
・(上を受けて)完璧なテクニックで、早いテンポの音楽でものすごい舞台を作るひとたちがいる 凄いのだけれど、趣向も凝らしているのだけれど、それでも5分くらいで「もういい、もうおなかいっぱい」という気分になる
・8割でダンスをやるというのではなく、2割の「余地」をどう作り構成するか
・舞台美術の井上信太さんは平面作家であることにこだわりを持っている それを舞台という空間に持ち込むとこういう(毛皮の敷物)形になった
・自分はダンスを通じて社会にコミットする
・それ以外の方法がない
・(背中を丸めていた男の子が、やくざ映画を観たあと、肩で風を切るようにして映画館を出て行くことがある 作品によって世界が変わることがあるよね、という話に)それはそうで、でもたまに自分にとっての世界の見え方だけ変わればもういいかな、作品作らなくていいかな、と思うことがある
・それでも他者あっての作品
・5月に「平間至 ・田中泯 トークイベント」で田中泯さんが話していたことを思い出しました
・「向こう側に行ってしまったらもう誰にもなにも伝えられない だから戻ってきて次の作品を作る」
・コンタクト、関係性というものがとても大きい
・トーク終了後、毛皮を元に戻す演出家氏
・終演後、出口でほかの方と話す坂本公成さんを見かけました
・舞台の感動を伝えたかったのですが、緊張してしまいしどろもどろにお礼のようなご挨拶だけして、逃げるようにその場を離れました
・好き過ぎて話しかけられないこともあります
・劇場を出て風景を見て、来たときとは世界のありかたがすこうし変わったように感じました
京都にいました。
・「The Passhing 01-03 Wash」(Monochrome Circus)@アトリエ劇研
・別記事に
・bozu cafe
・こじんまりしたお店 漫画たくさん
・通好みな本棚の並び
・『リストランテ・パラディーゾ』(オノ・ナツメ)が面白かったです
・すこしのお客さんがゆるゆると長居していく感じのお店
・ゆっくり漫画を読みながら、公演を思い返してメモなど取りながら、随分くつろいでしまいました
・シナモン風味のにんじんケーキがおいしかったです
・晩御飯
・連れの方の紹介で、無闇に素敵なお店の開拓に成功
・安くておいしくて雰囲気のよい完璧なお店でした、有名になってほしくないので店名や場所は内緒です
・気になる方はこっそりお問い合わせください
・桃の冷製スープとトマトのシロップ漬けがことのほか絶品でした
・鱧のゼリー寄せも、鱧の調理法としてこれ以上のものはないと思えるような出来でした
・20品戴いて大満足
帰りはまた、雨。
維新派ワークショップ 第2回@滋賀会館
・ストレッチ
・前回よりゆっくりしたペースで、呼吸にも言及しながら
・この方がやりやすいと感じました
・前回のおさらい
・まっすぐ立って、前後、左右に揺らしてもらう
・右に重心があると右方向に大きく傾ぎます
・そういうのを見ながら重心の位置を調整
・腰、膝を使えばある程度足の位置を変えずに、転ばないように姿勢を保つことができます
・骨盤を意識するのはとても大切です
・骨盤をもって捻ってもらうと、軽く力を加えられるだけで大きく身体全体が回転しました
・ここを巧く動かせば、小さな力で身体を操作できます
・まっすぐ歩く
・数人で組になり、まっすぐ歩いてみて、それを残りの方に観察してもらいます
・私は上下動が激しく、左足のほうが歩幅が大きく見えるそうです
・あとで先生に上下動の矯正方法を聞くと「足(地面)を蹴らないようにしてみて」との指摘 その通りに歩いてみると改善されました
・動きの割に足音は比較的小さいとのこと なぜでしょう
・足の置き方?
・「腰を保つイメージ」と「足の置き方」が重要ポイントとのこと
・接地面を踵から足底の前面、爪先へと移動させる
・爪先より膝が身体の内側に来るように注意すること
・爪先が内股、がに股にならないように
・この2点を守らずに動くと膝を痛めます
・頭頂部を糸で吊されたイメージで、腕を前方に突き出し、手のひらを上に向けた状態で腰を落としてみます
・骨盤の位置を意識しやすくなります
・ねがえり
・普段どちら側に重心を置いて寝ているかをチェックします
・仰向けに寝てどちら側の肩が浮いているか、足の向きはどうか
・どちら向きに寝返るのが楽か、首からいくのか肩からいくのか膝からいくのか
・左に重心を置いて寝ていると、右を上げて寝返るのが楽です
・私は若干左重心
・普段の身体の使い方、重心の置き方のくせがわかります
・常に偏った方向に重心を置いていると、そちら側が緊張し、凝りやすくなります
・ひどく疲れているときに重心を意識し、身体をほぐすとよいです
・まとめ
・「自分の身体と対話をしてもらいたい」
・プロの方はやっぱり凄いです
・巧くいかないときに質問すると、一瞥しただけで問題点を見抜き、簡単に身体が楽に動く方法を指摘、あるいはよい方向へ矯正してくださいます
・動きを改善させるひとこと 意識ひとつで身体のありかたががらりと変わるような体験
・これまで学校の授業等で運動を教えていただいた先生は、巧くいかないときにその原因を理論的に、腑に落ちるまで教えてくださらないことがほとんどでした
・「早く走れない」という状態に「沢山走って練習なさい」とのみ返されて、何度走っても姿勢や足運びは自力で矯正できず記録もそのまま、とか
・教えていただいても、自分の技量では活かせない、理解できない助言が多くありました
・ひとつひとつを理解しながら身体に反映させていくという作業は新鮮で、楽しいものです
・踊る、というのはなにか魔法に近いちからを行使することがらのように思えていました
・しかしながら、そこに至るまでにはやはり理論に沿った身体の動かし方があることを実感しました
・置きたい場所に身体を置くこと、移動させること、操作すること
・そのための鍛錬
・ここから平野先生
・動く、声を出すことがメインなのでメモを取るのが難しくなりました
・歩く リズムトレーニング
・電子メトロノームで「一拍子」「一小節」「一連」の説明
・一拍子が4つで一小節、4小節が一連
・これらに合わせて歩いてみる
・2拍子で1歩、1拍子1歩など
・重心を意識する
・腕は振らない
・丹田のあたりが前進していくイメージ
・(腰を前に突き出す、ということではなく)
・重心を下に落とす独特の歩き方
・名前があったのですが、忘れてしまいました
・音に合わせようとすると身体がぶれます
・気付いたら動き、音に集中しようと息を止めがちになります
・上体がまっすぐでない、ぎくしゃくしていると指摘を受けました
・動き続けたほうがよいのでしょうか、歩を置く以外の場所では身体を止めた方がよいのでしょうか
・歩く、というのは存外情報量の多い作業で、だんだんわけがわからなくなってきます
・(重心、足、音に合わせて、上体、まっすぐに、腰、足の位置、呼吸、ああ重心が)
・背骨の前辺りに重心を置き、丹田、骨盤の辺りを意識しながら重心をゆっくり前進させ続けるイメージで、足を摺り足にしてみる、あるいは柔らかく置くようにしてみると動きやすくなりました
・おもいで
・電子メトロノームの音で身体が強ばりました
・昔ピアノとバレエを習っていて、両方上手にはなりませんでした
・理想が高いのか能力が低いのか、納得のいく境地には至れませんでした
・楽しいと思ったことは一度もなく、ただ周りの期待に応えなければいけないと、上手になれないのは努力が足りないからで、それを原因に辞めたいというのはとても怠惰な、悪いことだと思っていて、苦痛ばかり覚えながらそこそこ長い間続けました
・結局、これらの習い事からはどのような技術も学ぶことができず、自分は身体を巧く操れない、駄目な人間だという認識だけが残る結果になりました
・体育の授業でも同様に、巧くできなかった、失敗した、叱られた思い出ばかり残っています
・「リズムに合わせて身体を動かす」という試みで、そういうことをわっと思い出して、身体が硬直しました
・昔の記憶は思いの外深く身体に刻まれていて、長い年月が経った今も私はそれを乗り切れていません
・変われるでしょうか
・発声 リズムトレーニング
・拍子に合わせて声を出します
・大きな声を出すこと
・リズムを取る、メトロノームの音を聞くこと
・なかなか両立しません
・ある程度遠い場所を意識して、そこまで声を届かせるよう意識するとすこし声を張りやすく感じました
・複数のことを同時にやるのは難しいです
京都にいました。
・金色の鞄を購入
・大きめの、今風の鞄がひとつ欲しかったので丁度良く
・ムロマチアートコート「京都市立芸術大学彫刻科グループ展 note」
・黒い液体を張った盥を床に置き、天井に吊った作品を映すという趣向と、寒天をOHPにかけたような作品が印象に残っています
・パーティ中で皆さん盛り上がっており、あまりゆっくり見られませんでした
・三条祇園画廊「ルネ・ラリック展」
・予備知識なくふらっと見かけたのでなんだか嬉しく思いました
・友人とごはん
・ベジカフェ 野菜のおいしいお店でした
そろそろ3ヶ月が経とうかという時期にもなると、いい加減色々忘れ始めています。
この頃から歩き神に憑かれる予兆が出ていたのかもしれません。
記録というのは忘れないためにではなく、忘れても大丈夫なように、忘れてしまってもそれを引き出せる可能性を残しておくためにあるものです、というおはなしを書いておこうと思ったら既にほかの方が同じようなことを書いていました。
忘却許可。(あんたジャージでどこ行くの)
忘却防止。というブログがあるわけで、これつまり、忘れないように記録するよ、ということなんだろうけれど実際は逆だ。つまり、記録するということの意味、記録する理由は忘れるためである。記録がトリガーになって「その事は、もう記録したから、あなたの頭の中からは消えても良いですよ」ということになる。だから、ブログ名としては「忘却許可。」の方がふさわしい。いつか振り返るためにブログを書く(忘却防止。)
その方が、私に「普通の人生」をくださいました。
かつて私はひどく破損していました。
身体はまともに動かず視覚は失われ記憶は損なわれ思考も感情も碌々動いておらず、生きているか死んでいるかの判断さえ難しい、機能としては壊れている部分のほうが多いようなありさまで。
辛うじて死んでいないというだけの状態でそこにありました。
色々なことを諦めていました。
それは絶望とはすこし違う、粉々になってしまった水瓶を前にしてそれで水を汲もうとは考えないような、そういうごく当たり前の判断からくる諦めでした。
もうどうしようもない、失ってしまったものは戻らない、残ったものは僅かで私にはもうなにもできない。
私のこの先の時間にはもう、なにもない。
ただ終わるのを待つよりない。
そんな風に考えていて、それは別に悲しいことではありませんでした。
喪失は認識していましたがそれが感情に結びつかず、ただ仕方のないことなのだと考えていました。
嬉しいとか悲しいとか、そういう言葉がどういうものなのかよくわかりませんでした。
自分からできることはなにもなかったので、諾々と起きる全てを受け入れ、置かれた場所でぼうやりと生存していました。
このままなにもない場所で、なにも成さずなにも残さず終わりを待つのだろうと思っていました。
その後沢山の方の尽力をいただき、私の機能は徐々に回復しました。
その中で、私が普通の生活を送ることができるように取り計らってくださった方がいました。
この先に普通の幸せを得ることもできるのだと、ただ終わりを待つだけの時間の過ごし方をしなくともよいのだと、壊れた身体でも今後の人生を送れるよう、生きるための道筋をつける手助けをしてくださいました。
今、私は普通に生きています。
嬉しいことも悲しいこともある場所で、楽しみも多い日々を送っています。
そうできるようになったのは、かつて助けてくださった方のおかげです。
その方が亡くなりました。
まだやりたいことも沢山おありだったと思います。
ご家族はさぞかしお力落としのことと思います。
どう書いても言葉が追いつきません、残念でなりません。
破損の後しばらく私はまともに機能しておらず、どのようなお話をしたのか覚えておりません。
機能がある程度回復してからは、かつてのことを無闇に思い出すべきではないとの判断で、お世話になった方々へのお礼もひとづてで済ませていました。
私はその方になにもお返しできていません。
だから会いたいひとには生きているうちに会って、話すべきことを話しておかなければならないのです、ならなかったのです。
そんなことは当たり前のことなのに。
わかっていたつもりだったのに。
悔やんでも仕方ありません。
私が「普通の幸せ」を得られるようにと尽力してくださった方のために、ひどく落ち込んだり泣き暮らしたりするのはきっとあの方の本意ではありません。
手向けになるものがあるとすれば、普通になすべきことをなし、時々は笑ったりしながら日々を送ることがそれになるのでしょう。
ああ、だけれど。
お知らせしたでしょうか。
私、悲しいと思えるようになりましたよ。