その方が、私に「普通の人生」をくださいました。
かつて私はひどく破損していました。
身体はまともに動かず視覚は失われ記憶は損なわれ思考も感情も碌々動いておらず、生きているか死んでいるかの判断さえ難しい、機能としては壊れている部分のほうが多いようなありさまで。
辛うじて死んでいないというだけの状態でそこにありました。
色々なことを諦めていました。
それは絶望とはすこし違う、粉々になってしまった水瓶を前にしてそれで水を汲もうとは考えないような、そういうごく当たり前の判断からくる諦めでした。
もうどうしようもない、失ってしまったものは戻らない、残ったものは僅かで私にはもうなにもできない。
私のこの先の時間にはもう、なにもない。
ただ終わるのを待つよりない。
そんな風に考えていて、それは別に悲しいことではありませんでした。
喪失は認識していましたがそれが感情に結びつかず、ただ仕方のないことなのだと考えていました。
嬉しいとか悲しいとか、そういう言葉がどういうものなのかよくわかりませんでした。
自分からできることはなにもなかったので、諾々と起きる全てを受け入れ、置かれた場所でぼうやりと生存していました。
このままなにもない場所で、なにも成さずなにも残さず終わりを待つのだろうと思っていました。
その後沢山の方の尽力をいただき、私の機能は徐々に回復しました。
その中で、私が普通の生活を送ることができるように取り計らってくださった方がいました。
この先に普通の幸せを得ることもできるのだと、ただ終わりを待つだけの時間の過ごし方をしなくともよいのだと、壊れた身体でも今後の人生を送れるよう、生きるための道筋をつける手助けをしてくださいました。
今、私は普通に生きています。
嬉しいことも悲しいこともある場所で、楽しみも多い日々を送っています。
そうできるようになったのは、かつて助けてくださった方のおかげです。
その方が亡くなりました。
まだやりたいことも沢山おありだったと思います。
ご家族はさぞかしお力落としのことと思います。
どう書いても言葉が追いつきません、残念でなりません。
破損の後しばらく私はまともに機能しておらず、どのようなお話をしたのか覚えておりません。
機能がある程度回復してからは、かつてのことを無闇に思い出すべきではないとの判断で、お世話になった方々へのお礼もひとづてで済ませていました。
私はその方になにもお返しできていません。
だから会いたいひとには生きているうちに会って、話すべきことを話しておかなければならないのです、ならなかったのです。
そんなことは当たり前のことなのに。
わかっていたつもりだったのに。
悔やんでも仕方ありません。
私が「普通の幸せ」を得られるようにと尽力してくださった方のために、ひどく落ち込んだり泣き暮らしたりするのはきっとあの方の本意ではありません。
手向けになるものがあるとすれば、普通になすべきことをなし、時々は笑ったりしながら日々を送ることがそれになるのでしょう。
ああ、だけれど。
お知らせしたでしょうか。
私、悲しいと思えるようになりましたよ。