少なくとも10年以上の期間、毎晩眠る前には涙を流していました。
どうしてそうだったのか、もう思い出せません。
眠りにつくことは死ぬことに似ていて、それが恐ろしくて涙を零していたのだ、などともっともらしい理由もつけられますが、今となっては推測でしかありません。
あのときの私は随分損なわれていて、私の中の壊れていない部分を探す作業は壊れている部分を探すのと同じくらいには難しい、そういう状態でした。
感情も破損の例外ではなかったので、どのようなおかしなことも起こりえました。
床につき、目を閉じると涙が溢れました。
はじめは悲しくて泣いていたのかも知れません。
だけれど毎夜同じように、同じ悲しみに襲われるということがあるのでしょうか。
それに慣れずにいるということがあるのでしょうか。
私は慣れました。
腫れるのを防ぐため、瞼を拭わずにおくことを覚えました。
枕を湿らせるのが嫌なので、乾いたタオルを敷きました。
取るべき対処を取れば、何ら困ることはありませんでした。
泣いていた、という言葉は適切でないように思います。
涙と感情の間に関連を見出せませんでした。
悲しいとか、寂しいとか、そういうことを認識できませんでした。
ただ就寝前に静かに涙を流し、普通に起きて生活をし、また眠るという生活を10年以上繰り返していました。
別段、不自由はありませんでした。
数年前の冬、ひとつのできごとがありました。
ごくごくありきたりなできごとです。
だけれど私の主観にとって、それは大きな揺らぎでした。
それ以降すこしずつ、私が眠る前に涙を零すことはなくなりました。
この2年ほどは全く枕を濡らさずに眠るようになっていました。
かつて涙を流していたことさえ、すっかり忘れていました。
そうして時間が過ぎて。
また私を揺るがせるできごとがあって、さらに時間が過ぎて。
先日眠ろうと目を閉じると、すうっと頬を涙が伝いました。
これは自分のどこかがまた壊れている証左なのか、それともただ元に戻っただけなのかと考えかけてすぐやめて。
私は自分がなすべきことを知っていました。
だから。
乾燥した清潔なタオルを枕に巻いて、瞼をこすらずに目を閉じました。