京都市京セラ美術館で開催されていた「ポンペイ展」をみてきました。
元々私はいい加減な人間で。
ポンペイについてもちゃんと知っていることはそう多くなくて、あまり現実味のない、半ば神話の世界のようなイメージを持っていました。
この展示について知ったのも、「発掘された黒こげのパンをぬいぐるみにしたものが販売されている、しかも大人気」というSNSの投稿を見たのがきっかけで。
焦げたパンかわいいな、歴史をユーモラスに咀嚼した展示なんだなくらいに思っていました。
展示室内は撮影自由で、SNSにも写真がいっぱい上がっていて、人も多くて。
なんだかそういう、お祭りのような展示なのかなと思いながら中に入りました。
1つめの展示物は「女性犠牲者の石膏像」
顔を覆って倒れた女性の、生々しい石膏像がそこにありました。
被害者が灰に埋まり、その灰が固まったものを型として作った…つまり、実際の犠牲者から型をとって作られた像でした。
ああ、私はなにも想像できていなかった。
すこし考えればわかることでした。
いくら古くても、これはひどい災害の痕跡で、望まず命を失ってしまった方がたくさんいた場所で。
だけれどそういうことをうまく咀嚼できないまま会場に来て、ひとつめの展示でなにか、思い知らされたような気持ちになりました。
写真は撮れませんでした。
他の展示物はたくさん撮りましたが、その石膏像だけはなんだかカメラを向けるのが躊躇われて、撮ることができませんでした。
あの石膏像のことを考えます。
どうしてああいう像が作られたのか。作った方は、灰の下に遺体の痕跡があるとどうしてわかったのか。他にも多くのそういう痕跡があったのか。
どうしてそれをこういう形で残したのか。
展示者は、なぜ最初の展示物をこれにしたのか。
おそらく展覧会全体としては災害の悲惨さを伝えるのが主眼というわけではなく、そういうことを強調するような様子もありませんでした。
ですがあの像を見たことで、ポンペイは絵空事の世界ではなく、ここと地続きの場所だったのだと鮮明に感じました。
どのみちあれは大昔のもので、災害がなくてもあのひとはもう亡くなっている。
同じように亡くなった方はほかにもたくさんいて、それは決して特別なことではなかったはずで。
それでも、その痕跡にこうして自分が触れることができたというのは特別なことのように思えて。
彼女はそこにいた。
その痕跡に触れたことを、覚えていたいと思いました。