グアムに行っていたときのことです。
英語圏にいると、数日で思考も英語になります。
が、私にはあまりたくさん、英語の語彙がありません。
使えるのは単純な単語だけで、複雑な言葉はよくわかりません。
するとどうなるか。
向こうにいる間は、簡単なことしか考えていませんでした。
きれいだなあ、おいしいなあ、次はどこに行こうかしら。
思考が言葉のほうに合わせて、すとんと単純化されました。
それは確かに不便なことであったはずなのですが、楽しかった記憶しか残っていません。
日本に戻ってくると、一晩で言葉も思考も元に戻りました。
あのときの思考のありかたは、世界の見え方は、あきらかに今とは違うものでした。
だけれど、決して悪いものではありませんでした。
目にするものはきれいで、口にするものはおいしくて、出会ったひとには笑いかけて。
今にして、思います。
あのときの私は、すこぶる無能であったけれど、幸福を得る力はとても強く持っていたのではないか、と。
そうしてそれは、賢くないがゆえの特権だったのであろうなあ、とも。