たまにこういう至極当然な、今更言うまでもないようなことを書きたくなります。
何度も同じことを書いている気もします。
切り口を変えて言葉を変えて何度も何度も同じことを書いて、それでも本質に辿り着いているのかどうか、これをあなたに伝えられているのかどうか、そんなこともわからない不完全さ。
それは意味のないことのようにも思いますし、だからこそ書くことが、伝えようとすることが重要なのだとも思います。
たまにこういう至極当然な、今更言うまでもないようなことを書きたくなります。
何度も同じことを書いている気もします。
切り口を変えて言葉を変えて何度も何度も同じことを書いて、それでも本質に辿り着いているのかどうか、これをあなたに伝えられているのかどうか、そんなこともわからない不完全さ。
それは意味のないことのようにも思いますし、だからこそ書くことが、伝えようとすることが重要なのだとも思います。
「私はあなたのことを完全に理解していない」という認識を共有した状態からはじめるコミュニケーションは、そうでないものよりも易しいと思うのです。
思うに、それだから私は妖怪とか幽霊とか変人とか奇矯とか祟神とかそういう評価が付きがちな現状を容認してしまうのです。
「理解し難い相手」と思われた状態から関係性を築くのは、妙な期待や先入観を抱かれた状態から同じ事をやるよりも随分楽なことですので。
私はあなたのことを完全には理解できませんし、あなたは私のことを完全に知ることができません。
あらかじめそういう断絶を呑み込みましょう。
その上で。
それでも私のことを知りたいと思ってくださることに感謝しています。
それでもあなたのことを知りたいと思ってしまうことに絶望しています。
他者が傍にいるときの孤独の方がひとりでいるときよりも痛く感じられるのは、きっとそういうことなのだろうと思います。
とりあえず適当な返事をしておいてそのあとで考えるというやり方になってしまうこともあるので、それを不誠実な態度と考えるべきではないように思います。
でもそういう状況を頻発させるべきではないし、一旦会話の流れを途絶えさせてしまったとしても充分な思考に基づいた回答を出していくことのほうがやりとりとしては有意義なのだとも考えます。
相手とどのようなやりとりがしたいか、どのような関係性を築きたいかということを踏まえて対応を吟味するべきなのでしょうが、上のような状況が発生している多くの場合はそのような思考を持つ時間もないわけでとりあえず問題点を提示しておきます。
上野に行ってきました。
・東京駅のトイレで、多数の女性がお化粧をしているのを見ました
・きっと夜行バスから降りたひとたちです
・ひとのお化粧の様子を見るのは変な感じです
・早朝の東京〜上野を歩いてみました
・柳原土手跡を見ました
・秋葉原の猫も見ました
・準備中のアメ横を通りました
・国立科学博物館
・化け物の文化誌展
・ミイラ展
・南方熊楠展
・その他体験コーナー
・平日の朝なら空いているかと思いきや、学生の団体が大勢いてとてもにぎやか
・但し、全員あまり展示には興味がなかったようなので、騒音はともかく展示を見るのは容易でした
・それはそれでなんだか悲しい気がしました
・しかし私はどこに行っても熊楠に会います
・国立西洋美術館
・ベルギー王立美術館展
・フェルマン=クノップフ「シューマンを聴きながら」が好きです。手がきれい
・ヤーコプ=スミッツ 「ジョジーヌ」の目もよかったです。このひとの作品は気になりました
・でも絵葉書は ルイ=ガレ「芸術と自由」を購入。作品そのものというより、意味合いが気になったもので
・コルネリス=ハイスブレフツ 「ヴァニタス」も意味が気になった作品。髑髏入り。だけれどなんだか「含みを持たせ過ぎている」感があって、作品としてはどうも
・絵葉書売り場で、幼稚園の先生がひとりひとりに好きな絵葉書を選ばせて購入している場面に遭遇
・ひとりの男の子が「はりねずみの絵(おそらくペーテル=スネイエルス「ハリネズミと植物と果実」のこと)がほしい、それはないの?」と、一所懸命に探していました
・該当の絵は絵葉書になっていなかったようで、先生が代わりの絵を勧めていました
・落胆は察するにあまりあります
・特別な絵を一枚見つけることができたなら、その展覧会は意味のあるものであったのだと思います
・あのかしこそうな子がこのあとももっと色々な絵に出会えることを祈ります
・常設展でグイド=レーニ「ルクレティア」と再会。確か2回目。相変わらず色っぽい
・先回は購入しなかった絵葉書を今回は購入
・確か先回は「実際に見た印象と絵葉書にはどうしても差異が生じるのだから、下手にものを持ち帰らないほうがいい」と考えたのです
・絵葉書を自宅で繰り返し見ることで、私の「ルクレティア」に対する印象は変わってしまうでしょうか
・アメ横
・活気があって、見ていて楽しい通りでした
・刺繍とビーズ飾りの付いた臙脂の手袋を購入。410円
・湯島天神
・休憩に立ち寄って参拝
・菊祭り開催中
・キティ破魔矢を発見。学問のご利益はあるのでしょうか
・熊手だったかもしれません
・巫女さんが見ていたので、あまりじろじろ見るのが憚られました
・東京大学総合研究博物館
・淡々と標本を並べている印象
・死んでしまったものたちが並んでいます
・特別展示「写真家上田義彦のマニエリスム博物誌」が素晴らしいものでした
・ここでしかできないことをやっているという印象。あの空間は好きです
・科博「化け物の文化誌展」に感じた不満と比べてしまいました
・この差異はもうちょっと追求してみたいことがらです
・展示ボランティアの方がとても親切で、裏話なども伺えました
・あと、学生さんに道を聞いたらとても親切に答えてくれました
・ありがとうございました
・SCAI THE BATHHOUSE
・銭湯を改装したギャラリー
・Dzine - stealing dreams -
・建物目当てで行った展示でしたが、よかったです
・きらきらのビーズが貼ってあったり、樹脂で加工してあったりする表面の質感が面白く、これは実際に見ないとなかなか良さがわからないものだと思いました
・小さくて丸いビーズがびっしり貼ってある表面を撫で回したくなって困りました
・エロティックな作品群であったと思います
・美大生風の観客がちらほら
・近所に美大があるせいでしょう。道でも何名かそれ風の方を見かけました
・根津
・おばけ坂があるらしいのですが、行きそびれました
・また次回。
・移動中、耳飾りを片方落としてしまいました
・お気に入りだったので残念
・こういうものは片方だけ残ってしまうので、余計に残念さが募ります
・走るときは装身具を外そうと思いました
・レニ・バッソ ショートピース・アンソロジー
・20分の公演3本+上演後30分ほどのトーク、という案内を見て行ってみたら、20分2本+休憩15分+45分1本+トークという構成に変更されていて驚愕
・でも、とてもよかったです
・1本目の「So So」はわかりづらいと感じました
・2本目、3本目はわかりやすいと感じました
・だけれどテーマがはっきりしているのは「So So」のほうなのです
・動きの目的がはっきりしているほうが好きで、わかりやすくて美しいと思ったのです
・もうすこし考えます
・2本目「ガジェット」で、ひとりで立っていられなくなったひとがひとにもたれかかり崩れ落ちる(倒れるのはもたれかかった側であって、もたれかかられる側は何の反応も示さない)という場面が印象に残りました
・さみしい
・あと、回し蹴りがきれいでした
・四ツ谷への移動中、靴の底が壊れました
・長く履いていた靴です。おつかれさまでした
・荒木町で友人と飲み
・お店で居合わせた方々に随分よくしていただきました
・最近はこの地域「荒木町」ではなく「四ッ谷三丁目」と呼ぶことが多いらしいです
・なので「荒木町」という名前を使うと大人の雰囲気を演出できるのだとか
・終電を気にしていたら、お店のマスターに車で送っていただきました
・ありがとうございました
ルーブル美術館展に行ってきました。
・20分待ち
・今回は立体作品ばかり
・「ゲネトリクスのヴィーナス」が気に入りました
・全体が、というより手の表現がとてもよいのです
・これまで見た立体作品のなかで「手」を表現したもののなかでは一番好きかもしれません
・右斜め後ろの角度から見るのがベストだったと思います
・今回もギリシア芸術への造詣の浅さが悔やまれました
・勉強しましょう
・2000年も前から今までずっときれいなものが存在していてひとの目に触れ続けているという凄さをどう消化していいのか、未だにわからずにいます
蜘蛛と、銀色のなめくじとそれから顔を洗ったことのない狸とはみんな立派な選手でした。タイトルは同じく宮沢賢治、『革トランク』から。
けれども一体なんの選手だったのか私はよく知りません。
山猫が申しましたが三人はそれは実に本気の競争をしていたのだそうです。
一体なんの競争をしていたのか、私は三人がならんでかけるところも見ませんし学校の試験で一番二番三番ときめられたことも聞きません。
一体なんの競争をしていたのでしょう、蜘蛛は手も足も赤くて長く、胸には「ナンペ」と書いた蜘蛛文字のマークをつけていましたしなめくじはいつも銀いろのゴムの靴をはいていました。また狸は少しこわれてはいましたが運動シャッポをかぶっていました。
けれどもとにかく三人とも死にました。
(宮沢賢治『蜘蛛となめくじと狸』より)