みんぱくにて。
特別展「聖地・巡礼 ─ 自分探しの旅へ ─」(〜2007.6.5 )
科学映画祭「人と科学をつなぐ世界の映像」開催(2007.3.19〜21 )
おもしろそうです。
みんぱくにて。
特別展「聖地・巡礼 ─ 自分探しの旅へ ─」(〜2007.6.5 )
科学映画祭「人と科学をつなぐ世界の映像」開催(2007.3.19〜21 )
おもしろそうです。
思い出せないのがめちゃくちゃ口惜しい。(恋愛ノスタルジィ(試運転中))
このおはなし、他にも引用していた本があるように思います。
思い出せません。
原典は何なのでしょう。
上のサイトさんで指摘されている通り、チェーンメールということでよいのでしょうか。
誰が思いついてどのように広まったのかということに思いを馳せるとくらくらします。
気にはなりますが、軽い気持ちでこの類の源流探しに手を出すことはしばしばとんでもない時間泥棒との遭遇につながりますので注意が必要です。
かねてより私のつくるお料理は見た目が悪く、時として味も随分駄目なことがあると評判です。
・なぜでしょうか
お料理の流れをひとつひとつの手順に分割して反省してみました。
しばしば重要な工程を省略してしまうのが原因であることに気付きました。
材料に下味をつけるとか、予め火を通しておくとか、そういうことをほとんどせずに「とりあえず焼きました」というような状態にしてしまうがために悲劇が起きるのです。
・どうしてそんなことをするのですか
お料理を作るときは大抵おなかがすいていて、なかなか下ごしらえをする間の我慢ができないためです。
おなかがすいていれば大概のものはおいしく感じられるため、料理の不出来が然程深刻な問題にならないという要因もあります。
・課題
・意図するものを作成するために必要な作業を見極めましょう
・必須工程を省いてはいけません
・我慢強くなりましょう
・味見はあくまで味見に留めましょう
・原材料をそのまま食べるなどもってのほかです
依存性のある快楽を齎すものについて考えていたら、創作活動にも同様の側面がありますねという指摘をいただきました。
自省。
・文章を書くのは別段楽しいことだと思いません
・書かなくとも生存に支障をきたすわけではありません
・しかしそれを書かずにはいられない瞬間があります
・手遅れですか
・自分の意思で何かを書いて書き続けることはできるでしょうか
・書くのをやめることはできるでしょうか
所蔵図書館マップ(仮)(Myrmecoleon in Paradoxical Library. はてな分館)
公共図書館のデータも入れることができれば便利でしょうね。
しかし私の知る限りにおいて、公共図書館の所蔵書籍データというのはあまり汎用性の高くない状態になっていることがままありますので難しいことかもしれません。
関係があるようなないような記事。
西鶴・近松に危機迫る、大阪・中之島図書館の空調故障こういう状況は大阪に限ったことではないことを知っています。
井原西鶴の筆跡が残る懐紙や近松門左衛門の浄瑠璃本など、大阪府立中之島図書館(大阪市北区)が保管する古典資料が、危機にさらされている。
劣化防止用書庫の空調機が10年余り前に故障したが、財政難の府が設備更新を認めないからだ。現時点で影響は見られないが、今後、損傷が出る可能性があり、担当者は「早く空調設備を取り付けてほしい」と嘆いている。
貴重書庫と名付けられたこの書庫は1960年、温湿度を調整できるよう空調機を備えて5階に設置された。約70平方メートルで、直射日光などを防ぐため鉄の二重扉で窓のない構造だ。
保存されている資料は約8000点。元禄5年(1692年)に刊行された井原西鶴の「世間胸算用」初版本全5巻を始め、西鶴が自筆で俳句を書き、知人に贈ったとされる「申年歳旦(さるどしさいたん)懐紙」、弘化4年(1847年)ごろ、近松門左衛門の浄瑠璃本などを個人がまとめた「往古梨園集」全3巻など希少価値が高い資料が多い。
[読売新聞 02月23日]
2007年から米国のサマータイム期間が延長されて、3月第2日曜日から適用となるそうです。
今日からですね。
IBM アラート:米国サマータイム変更 - Japan
で、不思議に思ったこと。
このサマータイム期間延長について詳細を知りたいと思い、昨日あちこちのサイトをうろうろしてみたのですが、公的機関のサイトではこの延長に関する告知をみつけることができなかったのです。
White House
US Department of State
在日米国大使館
外務省:アメリカ合衆国
見つかるのは企業や個人のサイトばかり。
当たり前のこと過ぎて今更告知などしませんよ、ということなのでしょうか。
あるいは。
なにを以って確実な情報源と判断すべきなのか、すこし考えてしまいました。
私の時計は正しい時刻を指しているのでしょうか。
TVアニメ「ハチミツとクローバー2」のビデオを5話まで見ました。
・とても原作に忠実な映像化です
・原作の「笑いどころ」が巧く映像にできていない場面が見られました
・文字と絵、視覚情報を瞬間的に叩き込むことで成立する表現があります
・それは文字を音で置き換えてしまうと効力を発揮しない表現です
・映像には不向きなものかもしれません
・原作を省略しきれなかったが故に起きた現象かな、と思いました
・同じ物語でも媒体によって適宜加算と省略をすることが必要なのだと思います
・このアニメにおいても場面によってはよい加算、よい省略がみられました
・アニメを作った方は多分原作をしっかり読んでいます
・その視線には愛が感じられます
・しかし実のところ、映像の出来不出来に関わらず私はこの作品の特定の台詞、特定の場面を見れば心動かされてしまうようにも思います
・引用の引用
泣きたきゃ勝手に泣けばいいじゃない(部屋とワイシャツと私という名の変奏曲)でみつけた文章
「かの、とり・みき先生は以前こんなことを書いてました」との前振りのあとに
私など、そりゃもう恥ずかしいくらいによく泣く。このあいだは、タイトルも知らない単発ドラマを、終了5分前から観始めて泣いた。登場人物の人間関係も、そこまでのストーリーすらもまったくわからないのに、ある年配の役者が発したセリフのひと言に感じ入って涙が出てしまったのだ。これにはさすがの私もあきれ、そして理解した。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動したときに出来た涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。