母が遅めの夏ばてをしたようで、食欲があまり見られません。
今日は随分ちいさなお椀でごはんを食べていました。
よく見るとお湯飲み茶碗。
ちいさな、しかし断固たる違和感を覚えました。
一刻も早く回復して欲しいものです。
母が遅めの夏ばてをしたようで、食欲があまり見られません。
今日は随分ちいさなお椀でごはんを食べていました。
よく見るとお湯飲み茶碗。
ちいさな、しかし断固たる違和感を覚えました。
一刻も早く回復して欲しいものです。
あなたは彼女が好き?それとも「彼女と一緒にいる自分」が好き?(シロクマの屑籠(汎適所属))
「彼女のことは大好きだけれど彼女と一緒にいる自分は大嫌い」というパターンもあるのではないかなあと思いました。
好きなひとの前では緊張してうまく喋れなかったり自分の欠点ばかり見えて萎縮してしまったり動揺して変てこな行動を取ってしまったりそれらがひとりになってから思い返されて大反省会を開催した挙句真剣に自害を検討する羽目になったりした経験のある方は決して少なくないはずです。
会えば醜態を晒して自己嫌悪に陥るのに、会えないと苦しくなるので逃げ場がありません、という絶望的な状況が発生しうるのです。
ひとづきあいとはおそろしいものです。
あなたにお会いしていないときの私はとても格好良いのですが、あなたはそれを確認することができません。
好いたひとに抱きついたりぎゅうっとしたりして英気を養う行動をさして「充電」という言葉を使うのはどのくらい一般的な用例なのでしょう。
西尾維新の『戯言シリーズ』や、二ノ宮智子『のだめカンタービレ』でこの用法が確認できたはずです。
しかしながら日常会話で使って確実に相手に理解してもらえるほど普及している言い回しではないように思います。
ひとつ普及率を調べてみたいところではありますが、残念なことにひとみしりです。
旅行に行ったら、なるたけひとにその話をしたほうがよいそうです。
話すことによって体験がほんとうに自分のものになるのだとか。
話してもいないし書いてもいないおはなしがたくさんあります。
いずれは忘れてしまうのでしょう。
私はもっと多くのことをあなたにおはなししておくべきなのでしょう。
ですが時間は限られていて、話せることも聞けることも限られています。
私はどれだけのことをあなたに伝えられるのでしょう。
どれだけのことを失わずに留めておけるのでしょう。
ただここにいるだけでぽろぽろとこぼれて失われてしまうものの存在が、ときどきつらくなるのです。
数日家を空けておいて帰宅した朝、それまで咲いていなかった庭の朝顔が一斉に花をつけていました。
夏とはすごいものです。
今日は光にまつわるきれいなものをたくさん見てきました。
これを殊更に特別なことだとは思いたくないなあと思っています。
楽しい旅行というのは、帰宅が前提であるために常に寂しいのです。
どこにも行かずに常に楽しい状態でいるのがよいことだと思うのです。
とはいえ、今日は面白いものをたくさん見られて良い日でした。
困ったことに、と付け加えつつ。
近所に、家が建っていました。
随分古びて屋根が崩れかかっている、木造平屋の一軒家。
ひとが住める様子とも思えませんが、夕暮れ時には明かりがついていることもありました。
誰がどのように使っていたものかは存じません。
その家が取り壊されかけていました。
防音のシートが周りに張られて、重機が半分ほど建物を壊したところのようです。
シートの隙間から工事の様子が見えましたので、そうっと覗いてみました。
壁が壊され、建物の中が見えるようになっていました。
屋根裏に、お酒か何かの紙パックがみっしりと置いてあるのが見えました。
尋常ではない数の何かが、みっしりと。
誰がどのように使っていたものかは存じません。
多分この先もあれが何であったのかわからないまま日々は過ぎて、やがてはあそこにどんな建物が建っていたのかも忘れてしまうのでしょう。
前3世紀の作という、牛型の分銅を見ました。
真面目な顔でちょこんと4本の足を揃えた牛の背中に無造作に取っ手がつけられているというもの。
5000年も前からあの牛は真面目な顔で背中に取っ手をつけられ続けてきたのだという事実は厳粛に面白がるべきものだと思いました。
私の妹は昔溺れたことがあります。
父に助けられてことなきを得ましたが、それ以降決して足の着かない場所で泳ごうとしません。
身体の能力がどうこうではなく、水に呑まれかけた記憶の恐ろしさのせいで泳げないのだそうです。
というお話をひとにしました。
「なので、一度溺れたことのあるひとは泳げなくなってしまうのではないかと思うのです」
「ほう」
「あなたは溺れたことがおありですか」
「溺れる、という言葉の定義によります」
「水中で身体の制御を失ったことはおありですか」
「あります」
「どうなりましたか」
伺うとそのひとは、あのときはああなってこうなってと記憶を辿る素振りを見せた後。
「そういうときに助かる方法を学習しました」
なるほど、溺れてもそこから自力で立ち直ることができれば、別段以降の人生で水を恐れることはなくなるのだなあと感心しました。
もちろん、だからといって溺れているひとを見かけたときに助けないのが最良の方法であるとは限りません。