励まされました。
「だからさ、そんな気を遣わなくていいんだって。周りに合わせようとしなくていいって」
「はあ、しかし自分なりにやってみて全体とあまりに違うものができてしまってはいささか問題が」
「大丈夫、――さんが変わってるのはみんな知ってるから」
私は知りませんでした。
励まされました。
「だからさ、そんな気を遣わなくていいんだって。周りに合わせようとしなくていいって」
「はあ、しかし自分なりにやってみて全体とあまりに違うものができてしまってはいささか問題が」
「大丈夫、――さんが変わってるのはみんな知ってるから」
私は知りませんでした。
同じだけの情報に触れることによって多様性がなくなる可能性。
知識によって発想の幅が狭まること。
国際化によって伝統文化が失われてしまった国のこと。
観察者によって齎されてしまう変化。
・時代が進みあらゆる歴史の記録が蓄積されていくにつれ、人類はよりよい、幸福を得やすいものになっていくべきだと思っていました
・人類全体をひとつの生物に見立てれば、経験を得るにつれより正確な判断ができるようになる、成長するはずだという発想です
・そうはならないのかもしれません
・なぜですか
・ひとひとりが全てを知ることは不可能です
・得られる情報が膨大になればそのぶん賢くなれるのではなく、その分忘れざるを得ないこと、諦めることが増えてしまいます
「カワイイ」と「キモイ」と思考停止の必要性について考える(いつも感想中)
現在は、異常なまでの情報過多時代と言って良く、その情報量は普通の人間には処理しきれなくなりつつあるのではないでしょうか。人間の性能は昔と大きく変わらないのに情報だけが押し寄せてくる状況です。(中略)そんな状況で全て情報に対してまともに対処しようとしたら人間でも確実にブルースクリーンになれます。精神を病んで入院です。・加えて、全てのひとが知識を望んでいるわけではありません
(コメント欄、へろへろさんのコメントより抜粋)
思考停止するのはかまわないと思います。
専門性を配分することで、社会は人間一人の能力を超えて発展してきたわけですから。
ただし、思考停止して自分から切り離した物事に関して、それが「誰か、あるいは社会全体にとっては必要なことである可能性がある」ってことを
無視すると問題が起こるのかな、と思います。
「自分にはあまり重要でない事を切り離して効率を上げる」のはOK。
でも、
「自分が切り離したものを誰かが処理している」という事は認識しておくべきでしょう。
ヨーロッパ企画「あんなに優しかったゴーレム」を観てきました。
ヨーロッパ企画初体験。
あとで書きます。
なお、これはプレビュー公演で、このあと京都、名古屋、大阪、広島、福岡、東京にて公演があります。
おすすめします。
・ギャラリーKURA 「駒野公仁子 + 佐々木恵 『さんぽとりっぷ』」
・Bar 超能力
あとで書きたいです。
自分の聞きたいことを聞くより、相手の話したいことを話してもらうほうが往々にして得るものが多いです。
・ギャラリースズキ 「近藤千鶴展」
・JAFRO 「久保田繁雄 タピストリー・ワーク〈1985年代+2007年〉」
・テグスの染色
・立体作品と化した構造物
・SferaExhibition 「マイケル・ウィッテル個展 Different Similarities Similar Differences」
・西洋式の庭造りにみられる、人工的に自然(に見える)景色をつくるやりかたのことを思いました
・GALLERYMARONIE Curator's Eye2008
・足髙寛美 「Piece/one」
・髪の毛を使って鍵編み?でコースターほどの大きさに花のような形を編み上げたもの
・ごくごく小さい作品をピンでボードに留め、むき出しで展示 ふらふらと風に揺れる様子が危うくてついつい息を詰めてしまいました
・他の作品は額入り
・ひどく繊細な美しさと、人体の一部を使っているなまなましい印象の奇妙な同居
・作品ファイルには、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006」に展示した作品も載っていました(作品名:passage 現在も展示中)
・この方の作品は好きです
・newtron 「大和由佳 泥で洗う―食卓」
・作品は大きなテーブルの上(あるいはテーブルそのもの)、その脇には椅子があって「食卓」に着けるようになっていました
・席に着いてみて泥まみれの食器を目の前にし、途方に暮れる感覚を堪能しました
・展示室の壁はガラス張り、ガラスの向こうは営業中のカフェ
・壁の向こうでは普通にお客さんが食事をしています
・京都人類学研究会・4月例会「アイデンティティの政治」と文化人類学―「ポストモダン人類学」と冷戦構造の終演、両者が残した未解決の課題―
あとで追記するかもしれませんし、しないかもしれません。