・時代が進みあらゆる歴史の記録が蓄積されていくにつれ、人類はよりよい、幸福を得やすいものになっていくべきだと思っていました
・人類全体をひとつの生物に見立てれば、経験を得るにつれより正確な判断ができるようになる、成長するはずだという発想です
・そうはならないのかもしれません
・なぜですか
・ひとひとりが全てを知ることは不可能です
・得られる情報が膨大になればそのぶん賢くなれるのではなく、その分忘れざるを得ないこと、諦めることが増えてしまいます
「カワイイ」と「キモイ」と思考停止の必要性について考える(いつも感想中)
現在は、異常なまでの情報過多時代と言って良く、その情報量は普通の人間には処理しきれなくなりつつあるのではないでしょうか。人間の性能は昔と大きく変わらないのに情報だけが押し寄せてくる状況です。(中略)そんな状況で全て情報に対してまともに対処しようとしたら人間でも確実にブルースクリーンになれます。精神を病んで入院です。・加えて、全てのひとが知識を望んでいるわけではありません
(コメント欄、へろへろさんのコメントより抜粋)
思考停止するのはかまわないと思います。
専門性を配分することで、社会は人間一人の能力を超えて発展してきたわけですから。
ただし、思考停止して自分から切り離した物事に関して、それが「誰か、あるいは社会全体にとっては必要なことである可能性がある」ってことを
無視すると問題が起こるのかな、と思います。
「自分にはあまり重要でない事を切り離して効率を上げる」のはOK。
でも、
「自分が切り離したものを誰かが処理している」という事は認識しておくべきでしょう。
・多くのひとが携帯デバイスから膨大な情報にアクセスできる環境を得れば、より豊かな思考を持てるはずだと思っていました
・だけれどそうはなりませんでした
・ネット環境を持っていてもマシュマロの原材料を知らない方はいます
・それを知らないことに気付かないこともありますし、気付いても別に知ろうとしないこともあります
・記録の蓄積、膨大な情報が活かされないのはとてももったいないことです
・余談、「記録の蓄積」という概念は別に新しいものではなく、アカシックレコードとか、アガスティアの樹とか、そういう言葉で表現されてきました
・全てのひとが望めばそれにアクセスできる状態、というのを作り出せないでしょうか
・ひとりが膨大な情報の中から有用なものを見つけ出すのは不可能でも、多くの目がそれらを精査し、情報同士を連結させて吟味し、そうやって選択されるものは正しさに近いものになるのではないでしょうか
・どうすれば情報がよりよい形で活かされるようになりますか
・世界にはたくさんひとがいるので、それぞれの方が自分の知りたいことを研究、記録できる環境をつくること
・多様性に寛容な環境をつくること
・かつ、それをすべてのひとが参照できるようにすること
・インターネットは便利なものです
・自分の知らないことを知れるようになること、それを知っているひとと簡単に繋がれる状態
・ひとにこういうお話をしたところ、「宗教がかっている」と指摘を受けました
・確かにこれは神を作成する試みです
・ひと同士の繋がり、ネットワーク、そういうものでも、「そこに触れれば正しい答えが見つかる」というものができるなら、それは神という概念に近づきます
・客観的に見れば私はもう、まともではないのかもしれません
・それでも構いません
・限られた能力で多くの情報を処理するためには、ぎりぎりの場所に立たざるを得ません
・だけれどできれば踏みとどまって、誰かと考えたことを共有したいと思います
・自分以外の誰にも理解できないものに価値を見出せません
・考えるというのは基本的にひとを幸福にするための振る舞いです
・どうしても見たいものがあります
・そのために、そのためだけに私はここにあるのだと思います
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