「空気を読んで行動するひと」というのは、集団の中のいじめを見たときに躊躇なく加害者側に参加することができるものです。
「空気を読んで行動するひと」というのは、集団の中のいじめを見たときに躊躇なく加害者側に参加することができるものです。
どれだけ忙しくても、どれだけやりたいことがたくさんあっても、断固として寝たいだけ寝て、食べたいだけ食べること。
そうすることで、結果的には得られるものが多くなります。
滋賀会館大ホールの裏にある空間に、赤い大きな鞄が置いてあるのを見ました。
「旅の道連れ」でこの鞄が歩いているのを見た記憶があります。
知人と思わぬ再会をしたような気持ちになり、なにかどぎまぎとした心持ちに。
もう歩かないのでしょうか。
維新派ワークショップ 第3回@滋賀会館
・今回からストレッチは各自で
・どうもあまり多くの運動を覚えておらず、伸ばして気持ちのよいところだけを伸ばして終わらせそうになってしまいます
・ほかの方の運動を見て真似ようと思いました
・歩く
・腰を落として歩く動作の呼び名は「中腰」でした
・これが維新派の動きの基本となり、この姿勢で走ったり回ったりの動きができるようになる必要があるそうです
・舞台上をぐるぐる歩いて回ります
・腕は揺らさない、上体は止める、保つ
・常に身体が動き続ける状態ではなく、1歩ごとに止めるようにする
・まずは4拍子、1拍1歩で
・次に7拍子、1拍1歩で
・ばてました
・次に7拍子、1小節1歩で
・ゆっくりで楽になった、と思いきや足を置くタイミングがずれます
・摺り足だと音に合わせにくく感じたので、慣れるまで足を浮かせてみることに
・踵を置くのとメトロノームの拍子が同じになるくらいに
・動き続けない、きっちり止める
・7拍子、2小節1歩で
・このくらいゆっくりだと、動きのずれの誤魔化しが効きません
・ここで一度完全にわけがわからなくなりました
・音からずれてばかりおり、聞くのに集中しようとすると、息が止まる、腕が揺れる、上体がぶれるという状態
・7拍子、1連1歩で
・ものすごくゆっくり歩くことになります
・動きの癖が見えやすく、意識しやすくもなります
・歩くとはどういう動作なのか知る機会になりました
・丁寧に、一連の動きを一定の速度で
・先生の補助を受けて、ここでようやく音に合わせられるようになりました
・1で後ろ足を浮かし、踵を後方に上げていき、2の近くで膝を前方に上げる動作に繋げ、3で膝が最も上にきて、4で下ろしていき、次の1で踵を地面につけます
・その間重心移動も意識して
・動作を分割して合わせていくなら、ほかのテンポでも同じようなかたちになるはずです
・気を抜くと足をすっと上げてしまったり、落とすように下ろしてしまったりします 全ての動作を丁寧に丁寧にゆっくりと
・「もうすこし粘って」
・正しい動きを一度身体に入れてしまうと、そのあとは楽です
・それを探すことと忘れないことが難しく
・私は一度言語化したほうが動きを覚えやすく、掴みやすいようです
・はじめはひどい状態でしたが、終わりの頃にはすこしましに、平野先生に「きれい」とおっしゃっていただける程度になりました
・褒めて伸ばしていただけるのはほんとうにありがたいです
・歩くポイント
・視線を平行に
・すこし上を向きがちになる傾向があります
・腰から動かす
・「足から行ってしまう」と指摘を受けました
・多分上半身を止めようとする意識が強すぎての現象です
・腰から重心移動をすると上体が揺れるのに戸惑いました
・丹田のあたりを意識すること、束ねた髪先の揺れを知覚して調整することですこしましに
・上体がななめを向かないよう注意
・足をまっすぐ上げ、下ろす
・右足を外側に回してしまう癖があります
・「意識すれば直せる、普段の生活から心がけてみて」
・腹筋と背筋で上半身を支えるのだそうです
・私は膝と太股、ふくらはぎに負荷を感じました
・ほかの部位も使って、もうすこし負荷を分散できるのでしょうか?
・もちもののポイント
・先回までとは比べものにならない運動量に、水分補給と汗拭きが必須のものになりました
・のみものとタオル
・ひとによっては膝用のサポーターを勧められていました
・発声トレーニングの前のおはなし 松本先生から
・「舞台やダンスの稽古をするというのは、利き腕でない方の感覚を養っていくような作業です」
「普段使っていない感覚も、鍛えれば養える」
「それまでできなかったこと、普段やらないことをやる楽しみ」
・発声
・7拍子、というのは一見馴染みのない拍子ですが、日本は昔から俳句(5、7、5)や和歌(5、7、5、7、7)などで7拍子を使っています
・「意外と日本性みたいなのが出て面白い」
・高音と低音パートに分かれます
・私は低音パート
・7拍子で声を出します
・テンポ200、1分間に200拍の拍子 結構早いです
・「アアアオオオオ アアアオオオオ」
・高音パートも同時に別の音、別のタイミングで声を合わせます
・音を続けない、一音ずつ区切る、メトロノームに合わせる
・1、4、6のみ声を出します
・「ア・・ア・ア・ オ・・オ・オ・」
・こちらは頭で考えるより、周りに合わせる、音を聞いて覚える方がよい感じ
・「オ・オ・サ・カ」―ヂャンヂャン☆オペラ「青空」より
・パート分けをして、全員で歌うことに
・まずは簡単なところを数行歌って(読んで)みます
・なじんだところでやや複雑な11連から14連
・声が合うとものすごく気持ちがよいです
・音楽を流して歌いたいひとだけ歌ってね、という流れ
・拍子を外しそうになるのが難しいところ
・床を軽く叩いて拍子を取ってみました
秋の公演のちらしも出来て、やることも徐々に難易度を増してきました。
朝、建物内でやもりの子に出会いました。
くるっとした眼もちいさな指も大変愛らしく、透けるような薄い皮膚がひどく繊細な印象で、かわいらしいなあきれいだなあとすっかり魅了されました。
人通りのあるすこし危なっかしい場所にいましたので、目立たない場所に移そうと手に取り、そうっと手のひらでくるみます。
慌ててかぷかぷと歯のないちいさな口で私の指を噛む、その様子がまた愛らしく。
適切な場所を探してきょろきょろしていると、清掃員の方に挨拶していただきました。
「おはようございます」
「おはようございます」
視線が私の手元に向いているのを察し、このかわいらしさを独り占めすべきではありませんよね、この幸福な出会いの喜びをほかのひととも共有できるのは嬉しいことですね、と思い、にこにこしながら
「こんなのがいたんです」
と、やもりの子をお見せしました。
悲鳴を上げられました。
悪気はなかったんです。
かつて壊れていたとき、私は幸せでした。
諸々の損傷で身体は殆ど動かず目は見えず、今よりも随分ひどい状態にありました。
それでも、生きていました。
あのときの私にはそれが最も重要なことで、心から自分の幸運に感謝できました。
精神がきちんと機能しておらず、負の感情を認識できなかったのかもしれません。
破損か投薬の影響で、多幸症を呈していただけなのかもしれません。
どうあれ私はとても満ち足りていました。
無尽蔵の至福の中で、にこにこと笑っていられました。
自分の認識こそが自分にとっての世界の全てであるなら、あとにもさきにもあんなに幸せであった時期はありません。
幸福になるのはさほど難しいことではないのだと知りました。
いくつかのものをなくしてしまえば、私はいつでもあの場所に戻れるでしょう。
悲しいこともつらいこともない、ただ幸せだけのある場所へ。
それはとても居心地の良い場所で。
だけれどもう、あそこに行きたいとは思えないのです。
欠落や喪失を糧としてしか創作ができない人種というのはいて、私もその類の人間です。
美術関係の催しや学会などで知らない方にお会いする機会が増え、
「どんな作品を作ってらっしゃるんですか?」
「ご専門は何ですか?」
という質問を受けることが出てきました。
広く浅くいろいろなものが好きなので、自分でも何が専門なのかわかりません。
とりあえず一定の評価を得た実績のある学問領域かなあ、それもできるだけわかりやすく興味を惹く説明をするなら、と考えた結果
「妖怪の研究をやっています」
とお答えし、ご要望に応じて「妖怪ちょっといい話」をひとつふたつすることが多いです。
なにかの集まりの中で、場違いに妖怪譚で盛り上がっている輪があれば、概ねその中に私がいます。
しかしながらどこに行っても同じ話をするようになってしまい、これはあまりよろしくないありかたのように思います。
なんだか自分はまだそういう「ひとつの話を使い回す」ようなありかたを取ってはいけない気がします。
場所に応じて違う人間になる必要はありませんが、自分の分野はもうすこし幅広くあるようにも思うので、もっと色々なおはなしができるように鍛錬してもよいのでは、と。
現在、「妖怪ちょっといい話」よりよい自己紹介はないものかと検討中です。
「OLをやっています」と名乗ると一部の方に大変受けがよろしいことには気付きましたが、それはまた別の問題です。