自分はひとりでいるよりないのだ、他者と一緒にいることなどできないのだ、そんなことは疾うにあきらめているのだと思っていましたが。
ほんとうに諦めているのなら、他者を必要としていないのなら、文章を書く必要なんてなかったはずです。
自分はひとりでいるよりないのだ、他者と一緒にいることなどできないのだ、そんなことは疾うにあきらめているのだと思っていましたが。
ほんとうに諦めているのなら、他者を必要としていないのなら、文章を書く必要なんてなかったはずです。
かつて、私は概ね壊れていました。
苦しいと思えば耐えきれなくなるので、苦しむのをやめました。
悲しみに沈んでは生きていけないので、悲しむのをやめました。
怒る権利などありませんでしたので、怒るのをやめました。
希望を持てば絶望するので、夢を持つのをやめました。
嬉しいとか、悲しいとか、そういうことがよくわかりませんでした。
感情がなかったわけではありません。
ただ、致命的に、壊れていました。
制御できない感情は、自分を蝕む毒でした。
いきものとして死なないために、感情を殺すよりほかありませんでした。
他者と接する方法が全くわかりませんでした。
せめて、不快感を与えないよう、無害であろうと努めました。
私は世界と断絶していて、それは仕方のないことだとあきらめていました。
自分がまっとうな人間だとは、どうしても思えませんでした。
ひとりで、誰にも迷惑をかけないように、静かに残りの寿命を潰していくのが、最も正しいありかたと思えました。
ただ死んでいないというだけの、植物のような状態でそこにありました。
ともかく、にこにこと、笑うことにしました。
考えるのをやめればいくらでも幸福でいられました。
笑うよりほかにできることもありませんでした。
人前で泣くことがありませんでした。
泣くほどに執着する相手も、ものごとも、とりたててありませんでしたし、作らないようにしてきました。
泣けば疎まれます、怒れば敵を増やします。
それよりは、笑顔で、誰も自分の中に入れずに、静かな場所にいるほうがずっとよいと思えました。
ひとりでいる以外のありかたを知りませんでした。
さみしいというのは、日常のことでした。
やりたいことがありませんでした。
なにもできないのに夢を語るなんて、おこがましいことだと思っていました。
ここのところ、私はひとりではありません。
やりたいことができました。
希望を持てば絶望もします。
他者の前にも関わらず、よく泣くようになりました。
いきものとしてどんどん弱くなっています。
弱く、脆く、疎まれてしかるべき部分がどんどん露呈していると感じます。
それでも、まだ、傍にいてくださる方がいます。
笑ったり、泣いたりしながら、他者と関わりながら日々を過ごしています。
まるで、まっとうに生きている人間のようです。
ここを離れれば、私はもう、ほんとうに泣かないようになるかもしれません。
今度こそ、無害に、静かに、にこにこ笑うだけのものになれるかもしれません。
それはもしかしたら幸福なことなのかもしれませんが、そうしたいとは思えません。
誰かが傍にいるのはおそろしいことです。
いつ嫌われてひとりになるかしれません。
やりたいことがあるのはおそろしいことです。
叶わず、絶望することになるのかもしれません。
それでもここにいたいのです。
みっともなく、ときどき泣いたりもしながら、きちんと生きてみたいのです。
お芝居が終わって言葉も使えなくなったので当然の帰結としてこれはもう子供を産んで育てるよりないのだと考えいかにして子供を作るか育てるために必要なものはなにか使える制度や施設にはどのようなものがあるかというようなことを調べていましたと書けばあなたは面白がってくださるのでしょうかそれとも。
かつて私はどこにも行けませんでした。
ひらひらと世界のあちこちに足を運ぶ方と出会いました。
「あなたはどこにでも行けるのですね」
「そんなことはありません」
「引きこもり気質で外に出るのが躊躇われる私からすれば、随分軽々と動いておられるように見えます」
「軽々と、ということはありません」
「ありませんか」
「外に出るときはいつも躊躇します、それを無理に動かしているのです」
「躊躇するのなら、どこにも行かなければいいのに」
「 」
どう返事をされたのか覚えていません。
覚えているのは、私がその方に憧れていたこと。
だけれど私とその方は全く違う性質で、私はその方にはなれないのだと思っていたこと。
私はあなたになりたかった。
あれから時間が過ぎて、私は旅の途上にいます。
引きこもりの性質が変わったわけではありません。
気付けばふらりと漂っていました、こうするより他ありませんでした。
いろいろなひとに会って、いろいろなものを見て。
文章でいくばくかのお金をもらって。
足を水に浸して、大きなひとと同じ舞台の上に立って。
そうしてときどき、空を見上げて。
外に出るのは今でも怖いです。
ひとと話すのは今でもおそろしいです。
だけれど、だけれど。
あの方もこんな気分で、知らない空の下に立っていたのでしょうか。
原因も理由も脈絡もなく無闇に楽しい気持ちになったり気鬱に沈んだりするのはかつて自分が己の内側に世界を構築して他を必要とせず閉じてしまっている生き物であった名残なのかもしれません。
月の満ち欠けを気にするようになったのは、それがそのひとと共有可能な数少ないものだったからでした。
遠い国にいるひとでした。
ほとんど、一緒になにかを見ることができませんでした。
天候も時刻も私のいる場所とはずれていて、共有できる情報があまりありませんでした。
だけれど月の満ち欠けは同じなのだと気づき、なんとはなしにそれを時候の挨拶のように使うようになりました。
今夜は月がありません。
今日は細い月が光っています。
こちらはまあるい満月です。
同じ空を見上げるひとのことを思いながら、愚直にこちらの目に映るもののことを報せました。
月がきれいですよ。
そのひとはもういません。
報せる相手を失くした今も、私は日々月を見上げます。
満月の夜はひとりふらり外に出て、口ずさむように誰へともなく呟きます。
月がきれいですよ。
月がきれいですよ。
月がきれいですよ。
時間が止まってしまっていたひとたちのことを思い出しました。
世界と対峙するのをやめたひとの時間は概ね止まります。
年齢よりも若く、幼く見えて。
死んではいないけれど、まっとうに生きているとも言い難いような。
それはたぶん、あまりしあわせなことではありません。
ことあるごとに死のうとして死に損ねていたひとがいました。
私はそのひとの助けにはなれませんでした。
最後に会ったときも、決して楽しそうにはしておられませんでした。
今はどうしておられるのでしょう。