月の満ち欠けを気にするようになったのは、それがそのひとと共有可能な数少ないものだったからでした。
遠い国にいるひとでした。
ほとんど、一緒になにかを見ることができませんでした。
天候も時刻も私のいる場所とはずれていて、共有できる情報があまりありませんでした。
だけれど月の満ち欠けは同じなのだと気づき、なんとはなしにそれを時候の挨拶のように使うようになりました。
今夜は月がありません。
今日は細い月が光っています。
こちらはまあるい満月です。
同じ空を見上げるひとのことを思いながら、愚直にこちらの目に映るもののことを報せました。
月がきれいですよ。
そのひとはもういません。
報せる相手を失くした今も、私は日々月を見上げます。
満月の夜はひとりふらり外に出て、口ずさむように誰へともなく呟きます。
月がきれいですよ。
月がきれいですよ。
月がきれいですよ。