ご無沙汰しております。
しばらく、なにも書けずにおりました。
言葉を使うことができませんでした。
文章を綴ることができませんでした。
その間、なにかとても苦しんでいたような気もしますし、とても楽しく過ごしていたような気もします。
記憶がないわけではないはずなのですが、すべてのことがおぼろげです。
この期間、自分が生きていたのか、死んでいたのか、今となってはそれもあまり定かではありません。
ずっと、書くことはあたりまえのことでした。
生きるために書いているのか、書くために生きているのか、わかりませんでしたし、そのどちらであっても特段の問題はありませんでした。
書くことは生きることと繋がっていて、どちらかだけが欠けるという状態を想像するのは難しいことでした。
とはいえ、これまでにも文章を書けなくなることはありました。
ごくまれに、特定の他者と一緒にいることで、文章を書けなくなることがありました。
それは私にとって幸せな状態でした。
ごくごくまれに、特定の他者と一緒にいることで、いくらでも文章を書き続けられたこともありました。
それは私にとってとても幸せな状態でした。
しかしその思い出は今回の本旨ではありません。
私が書いている文章は、すべてあなた宛の手紙です。
特定の誰かではない、これを読んでくださっている「あなた」。
これまで、誰かと一緒にいることで、そのひとに言葉を向けることで、文章が、あなたへの手紙が途切れてしまうことはありました。
だけれど、はっきりしています、ここしばらくの間、確かに私はずっとひとりでいたのです。
これまでなら、私がひとりでいるときというのは、あなたと一緒にいる状態と等しいものでした。
ごく自然にあなたの存在を意識し、話しかけるようになにかを書きました。
それなのに、今回はあなたが見えませんでした。
語るべき言葉を持ちませんでした。
私は、ほんとうに、ひとりでした。
いくつも、大きな鞄を買いました。
別段必要に駆られていたわけではありません。
買い物の動機を自分でもはっきりとご説明できません。
ただ、漠然と、しかし切実に、遠くに行きたいと思っていました。
遠くに、どこかに、ここではないところに行かねばならないのだと思っていました。
ここにいる理由がありませんでした。
どこにいる理由もありませんでした。
悲しくも、苦しくも、ありませんでした。
たくさん笑って過ごしていました。
そうやって何も書かずに、ただ日々を楽しむうちに時間が過ぎていく状態に違和感を感じていました。
こうなるのを望んでいたこともありました。
書かずに生きていけるなら、そのほうが健やかなありかたなのだと、そう思っていたこともありました。
そうして、そうなった日々はただ楽しくて、それだけでした。
私の世界は言葉で構築されていました。
それを失うのは、世界を失うのと同じことでした。
言葉を使えない私は、ここにいなくてもよいと思いました。
私が言葉を手放すのと同時に、世界も私を失いました。
私は、どこにもいなくなってしまいました。
その状態が唐突に終わりました。
週末に外出したときのことです、夜行バスで一晩かけて移動して、
いえ、そのときではなかったかもしれません。
お仕事で報告書を作っていて、画面に点滅するカーソルを
いえ、それは直接のきっかけではありませんでした。
薄桃色のキャリーバッグをみつけて、衝動買いのようにそれを購って、その内側に
ともかく、どこかで、ふつり、と、世界の裏返るような感覚があって
巧くご説明できません。
ただ、つい最近、そういう瞬間があって、気付くとまた言葉の塊が傍にありました。
これを書きました。
我ながらひどいものですが、書きました、書けるようになりました。
それがよいことなのかどうかわかりません。
価値のあることなのかどうかわかりません。
私はまだここにいます。