「The Passhing 01-03 Wash」(Monochrome Circus)
・不覚にも開演ぎりぎりに会場到着
・でも最前列の真ん中近く、よい席でした
・最前列が好きなので嬉しく思いました
・折角演じるひとを目前にできるのですから、なるたけ近くで見たいと思う性質です
・舞台には工事現場などで建物を覆うのに使われるシートが幕のように張られ、最前列だと目の前を覆われたような格好になります
・座っていると、何の合図もなく黒いパーカーを着た男性が入り口から入ってきて、席のほうを向きながらぎしぎしと身体を強ばらせて動き、煙草を取り出して火をつけて、吊られていたシートが目の前で落ちて
・そうして、舞台が開かれます
・4名のダンサーが、短い、物語のあるようなないような動きをしては去っていき、あるいは留まり、その連続で構成される流れ
・落ちてきたシートを境に舞台と客席が分かれるような様子になっているのですが、ダンサーはときにシートを踏み、客席ぎりぎりまで身を乗り出してきます
・境界を侵犯してくるような、こちらの内側まで入り込んでくるような舞台
・冒頭の断片
・男性が黒いパーカーをほかのひとりに着せ、着せられたひとりはほかの三人にもみくちゃにされます
・しばらく翻弄されたあとそのひとりはパーカーを脱ぎ、別のひとりに着せます
・すると今度は着せられた人間に標的が移る、その繰り返し
・このパーカーと似たような衣服を「true/本当のこと」でも見たように思います
・ともかくひとに触れること、関係することそのもののような動きが多く、非常に色っぽいと思いました
・ひとりがひとりの指を咥え、そのままの状態で動くシーンなど
・服を脱ぐ場面もあったのですが、そういうのとはまた違う、動きだけで触れるだけで発生する、匂い立つような色香
・ほとんど普段着のような服装に、女性3名は大振りな首輪
・途中から敷物のような毛皮が4枚出てきて、それにくるまったりその上での動きがあったり
・身につけるものは内面を顕すものでもあり、外部と接触する境界でもあります
・それを選ぶということ、外すということは
・動きの美しさに揺すぶられ、暴力的なくらいの力で引き込まれました
・アフタートークで「観ながら現代社会の様々な問題を想起させられた」という感想が出ていましたが、私はそうではなく、観ることだけに集中せずにはいられず、上演中ほかのことを考える余地がありませんでした
・森裕子さんが大の字に手足を広げて立つシーン
・立っているだけではあるのですが、身体の中でちからが動いている、流れがあるのが見えて、視線を奪われました
・ごく短いシーンであったと思っていたら、アフタートークで「3分間、ただ立っているだけのシーンがあって」というおはなしを聞いてびっくり
・3分の長さを感じませんでした、時間の感覚が狂うような密度のある体験でした
・そういう動きを次々に眼前に繰り広げられて、引き込まれない道理があるでしょうか
・途中でポップコーンの原料が舞台にばらまかれました
・舞台の隅で電気鍋を用いてポップコーンが作成されました
・いい匂い
・「旅の道連れ」でバイクの排気ガス、こぼれたビールの匂いなどがこちらに伝わってきたのを思い出しました
・今回も煙草やポップコーンの香りを嗅ぎ、映像や出版物では難しい、舞台でこそできる仕掛けだなあと感心しました
・香りも舞台と客席の境界を越境する媒体です
・森見登美彦の小説に、「全裸より破廉恥な格好」として「桃色のブリーフ一枚」というのが挙げられ、その格好で踊るひとびとが描写されていました
・それはあくまで小説のおはなし、現実の世界で生涯そのような格好の方を拝見することがあるとは思っていませんでした
・「思っていませんでした」と過去形になっている理由はお察しください
・得難い体験をしたのだと思います
・アフタートーク
・坂本公成さん、ゲストに服部滋樹さん(graf代表)、進行はアトリエ劇研の杉山準さん
・演出家自ら、プラスチック椅子に舞台装置の毛皮を掛けて舞台をセッティング
・壇上の方は紙コップ一杯ずつのビールを手にお話することに
・ほかの方は存じませんが、坂本さんは絶対あれでは足りなかったのでは、せめて瓶、できれば樽が必要だったのではと心配になりました
・筆記用具を受付に預けてしまい、メモを取ることができなかったので断片的に
・以降は記憶の断片です、実際のおはなしの時系列に沿っていません
・タイトルはビル・ビオラの作品から
・母の死を映した映像作品
・12月にこの公演の断片を上演した
・(2007年12月 「The Passing 01」@アトリエ劇研)
・ダンサーの身体の中にあるものをダンスにしていく 作り物のダンスをやっても仕方がない
・冒頭の黒いパーカーは、茨城の連続殺傷事件で犯人が警察に「早く捕まえろ」という電話をかけたという話がモチーフになっている 早く捕まえて欲しい
・誰かを殺してやりたい、と思うような気持ち、獣性みたいなものは自分の中にもある ダンスでそれを洗い流すことが出来る
・「ヨガとかいいですよ」
・(観ていて今の世相、様々な事件がフラッシュバックした、との指摘に)当初はピュア・ダンスをやりたかった でも純粋にダンスを見せるって何だろう
・自分は社会と、世界と繋がっていて、それらと完全に無関係であることはできない
・服部滋樹さん:自分はひとより巧く絵を描くことができる アイデアがあってもそれを絵にすることができないひとのために「それはこういうことなんじゃないの?」と、描いてみるために自分は存在する、描かなければならないのだという気持ちがある
・同:隙間があるほうが愛される 完璧にデザインしすぎないように心がけている 腹八分目くらいが丁度いい
・(上を受けて)完璧なテクニックで、早いテンポの音楽でものすごい舞台を作るひとたちがいる 凄いのだけれど、趣向も凝らしているのだけれど、それでも5分くらいで「もういい、もうおなかいっぱい」という気分になる
・8割でダンスをやるというのではなく、2割の「余地」をどう作り構成するか
・舞台美術の井上信太さんは平面作家であることにこだわりを持っている それを舞台という空間に持ち込むとこういう(毛皮の敷物)形になった
・自分はダンスを通じて社会にコミットする
・それ以外の方法がない
・(背中を丸めていた男の子が、やくざ映画を観たあと、肩で風を切るようにして映画館を出て行くことがある 作品によって世界が変わることがあるよね、という話に)それはそうで、でもたまに自分にとっての世界の見え方だけ変わればもういいかな、作品作らなくていいかな、と思うことがある
・それでも他者あっての作品
・5月に「平間至 ・田中泯 トークイベント」で田中泯さんが話していたことを思い出しました
・「向こう側に行ってしまったらもう誰にもなにも伝えられない だから戻ってきて次の作品を作る」
・コンタクト、関係性というものがとても大きい
・トーク終了後、毛皮を元に戻す演出家氏
・終演後、出口でほかの方と話す坂本公成さんを見かけました
・舞台の感動を伝えたかったのですが、緊張してしまいしどろもどろにお礼のようなご挨拶だけして、逃げるようにその場を離れました
・好き過ぎて話しかけられないこともあります
・劇場を出て風景を見て、来たときとは世界のありかたがすこうし変わったように感じました