4月12日、大橋可也&ダンサーズ「明晰の鎖」国内ツアー「ダウンワードスパイラル」京都公演を観てきました。
・狭い劇場、四角形の舞台、会場のドアは開け放した状態
・女性が4名、視線を交わらせず互いに関わりもせず、ふらふらと動いています
・ひとりが疎外されている感じ
・自分の脇腹を見て(他の何も見ずに、閉じた姿勢で)哄笑を上げるほかのひとびと
・疎外されていたひとりが「死ねばいいのに」と呟きます
・すこしの間を置いて、別のひとりが「死んでしまえばいいんじゃないの」と呟きます
・そうして、物語があるような、ないような、ただひとが舞台を動き続けます
・伝わってくるのはただ、ここに存在することのつらさ
・強制的に目を引きつける力のある舞台ではありませんでした
・私の両隣の観客は途中で飽きていて、それに気付く程度には私も意識を散漫にしていました
・身体を動かそうという意志があり、それに呼応して身体が動いているのが見えました
・動きの先が予測できました
・そうではない、強制的に目を奪われる舞台、予測の外側から揺らされる動きを見たことがあります
・ただ、その分観ながら自分の抱えている問題を思い出し、舞台にそれを重ねることができました
・ひとと関わることの難しさを考えました
・ひきこもりたくなりました
・最後には「やっぱりもうすこしがんばろう」と思いました
・居心地の悪さと色気のなさを終始感じていました
・登場人物同士が目を合わせず、動きも個々でばらばら、一切干渉し合わないせいです
・そこにひとがいるのに関わらない、という状態はひとりでいるより寂しいものです
・かつ個々が伸びやかさとは程遠い動きで、生き苦しさを体現するようにもがいているので、余計に見ていてつらく感じました
・何かに引っ張られたり突き飛ばされたりするように、苦しげに跳ね回る動きが印象に残っています
・ただ、個人の苦しそうな動きはあくまでそのひとの身体によってもたらされているという事実はすこし気を楽にするものでもありました
・どうしようもない状態で苦しんでいるように見えても、その身体を苦しげに動かしているのはあくまでそのひとの意志、そのひとの身体であることが見て取れました
・ひととひととの間に関係性がないので、色気の発生しようがない状態でした
・終わり近く、3名が開け放されたドアから退場し、「死ねばいいのに」と呟いたひとりだけが舞台上に残りました
・その瞬間、はじめて爽快感を覚えました
・周りに関われない他者がいるから窮屈に感じたのです、ひとりでいればそれは感じずにすみます
・しばらくそのひとりが舞台中央にいました
・何か言うのかな、と思いました
・何も言わないだろうな、とも思いました
・ここで言葉を発すれば、かろうじて生じている空気の強度が崩れます
・それでも、「死ねばいいのに」に対する何らかの回答があるのではと思いました
・何も言わないまま、回答のないまま、上演は終了しました
・全ての問題に答えが用意されているわけではありません
・帰り道、生きづらいと感じたときには死ねばいいのだろうか、ひとりになればいいのだろうか、と考えました
・そうではない、と思いました
・「死ねばいいのに」と、自身を含めた全てを呪いたくなることはあります、ひとりになりたいこともあります、だけれどそれは絶対の回答ではありません
・もちろん、「死ねばいいのに」という閉塞感を感じてはいけないのだ、否定せねばならない感情なのだ、というおはなしではありません それは生きづらさの解消になりません
・私なら別の終幕を用意すると考えました
・それはこの舞台が駄目だったからではありません
・そういうものを考えさせるだけのちからがある作品でした
・追記