この一週間ほどで二度、舞台に上がる夢を見ました。
演劇の舞台です。
私は衣装をつけていて、自分が出演すべき劇があることを知っています。
だけれど舞台袖の入り口がわからずに、会場内を右往左往します。
ようやく辿り着くと、台本を見る間もないまま出番がやってきます。
自分が何を言うべきなのか知らないまま舞台に上がり、観客を前にして、眩しいスポットライトの中で、せめて堂々としていようと背筋を伸ばして。
そこで目が覚めます。
ああよかった、と身支度をして外に出て、ひとに会います。
用件があって話そうとして、何を話すべきなのかわからなくなります。
どうにか用件を伝えようとするのですが自分が何を言っているのかわからず、聞いている相手は困惑しているように見えて、焦れば焦るほど言葉が空回ってしまって。
その場にある莫大な量の情報を瞬時に認識してしまい、それを処理することができなくなります。
考えていることと言葉にすること、言葉にすることと声に出すことの間にはすこしずつ違いがあって、更にそれを相手にわかりやすい状態で提示する必要があって、それを踏まえて最も適切な形の表現とはどのような声で表情で言葉であるべきなのかということを考えているうちに時間がどんどん流れてしまい、間を埋めていた言葉は思考に沿っておらず空疎な声ばかりがそこに響いて。
昨日まで簡単にできていたことが、今朝には突然できなくなりました。
夢を引き摺っているようだと思いましたがこれは夢ではなく、覚めることができません。
台本をもたずにすべてと相対しなければならない困難さから逃れることができません。
世界と自分の間に隙間が空いているような感覚があります。
ずれていることは認識できるのですが、そのずれを埋めることができません。
然程珍しい現象ではありません。
私はときどきこういう状態に陥るのですし、この状態は様々な記録物を読み解くことや自分の内側を眺めることに向いているのを理解しています。
これまでにあったこういう状態はいずれも、情報を取り込むのに必要な時間だったのだということを覚えています。
無理にこの状態を変えようとするのではなく、今の自分に適した作業を行っていれば、いつの間にか違う状態を得るのだと知っています。
それでも、ほぼ無意識のうちに最小限の情報のみを処理して屈託なくひとと話すことができる状態に戻りたいと思います。
台詞を忘れて舞台に立ち続けるのはつらいものです。
せめてにっこり笑ってはみるのですが。
何が夢で何がそうでないのか、時折わからなくなります。