医療関係のお仕事は大変でしょうね、というお話をしました。
「『とにかく痛いのでなんとかしてください』みたいな感じでお医者さんに頼りきってしまう患者さんもおられるでしょうね」
「ああ、自分がそういう患者だから出てくる発想だね」
「なんだと」
失礼なことを言われた、と不服に思いました。
少し経って、いやこれはそうやって聞き流すべき言葉ではないと思い直しました。
とても不本意ながら、この指摘には一定の説得力があります。
(私が病院にかかるときの態度については異論がありますが、それはさておき)
私はどこかで自分の抱えている問題の原因や、その解決策を外部に見出そうとしています。
依拠するに足る絶対的なものが訪れるのを待ち、自力での解決を怠ることがあります。
それは正しいことではないと、待っていても何も起きはしないのだと、理解しているのにも関わらず、なお。
これはただの逃避であり、怠惰です。
私はそういう自分のありかたを肯定できません。
的を射ているから、悔しく思うのです。
そうして、こういう指摘をくれる相手がいたことに驚いています。
自分を見透かしてくれる目がこの世にあるというのは想像の埒外のことでした。
そういうものがあると思えるのは、心強いものです。
私はきっとこれからも色々間違えますが、それをどこかで正せる可能性があります。
過度に依りかかることはできませんが、足を踏み出す際の躊躇をすこしだけ減らす力になります。
なのでそういう指摘を得られた幸運を無条件に喜びたいのですが、あまり喜びすぎると指摘の本分である「外部に自己の問題の解決を委託しない」という課題の解決から離れて本末転倒なことになりそうなのが悩ましいところです。