「いつでもどこにいてもインターネット上の膨大な情報にアクセスできる」という状態はひとの思考形態に大きな変化を齎す気がします、というおはなし。
タイトルの「Google」は「Yahoo」や「Clusty.jp」に置き換えても問題のない文章です。
・記録されているものは、記憶する必要がありません
・都度辞書を引けば事足りるのに、その内容を全て覚える必要があるでしょうか
・しかしながら、多くを記憶することで思考の速度は増しますし、組み合わせる材料は確実に増えます
・南方熊楠は和漢三才図会など多くの書物を暗記していました
・漢字を知らなくとも、パソコンを使えば文章を書くことができます
・予測変換機能のついた端末なら、頭の中にある語彙を探す手間さえある程度省くことができます
・手書きの文章とキーボードを使って書かれた文章、さらにその中でも高度な変換機能を用いて書かれた文章はそれぞれ別のもののように思います
・私はもう、手で筆記具を持って文章を書くことができません
・すくなくともそれはキーボードで打つのとは別のものになります
・知識がなくとも、検索と引用を繰り返すことでできるものがあります
・それは創作や思考と呼んでいいものなのかどうかわかりかねます
・機械がない時代には生まれ得なかったもの
・そうして、私たちはもはや機械がない時代に戻ることはできません
・インターネットでみつけることのできない情報のほうが多いはずです
・しかし、現在ひとりのひとがインターネット上にある情報の全てを把握することはもう不可能です
・そうして刻々とその量は増えつづけます
・それは、ある意味では無限とあまり変わらない量の情報です
・ただしこの場合「ある意味では」という留保がとても重要です
・いつでも参照可能な情報が増えることで、考えないひとが増える可能性
・情報収集や記憶のために割いていた労力をほかに移せるようになり、より豊かな思考を持てる可能性
・どちらにしても環境が変われば確実にその中にあるものも変わります
・世界に全く新しいものは存在しなくて、あるのはただ忘れられたものだけなのだといいます
・全く同じ情報を誰でも同じだけ参照できるようになったとき、個性はどこに生じるのでしょうか
・何を知っているか、ということと同時に、何を知らないか、ということが個性になりうる気がします