・要旨
こころを揺さぶられるものというのはそのひとが摂取した情報のなかから一定の比率で見出せるもので、摂取した情報の種類がどのようなものでもそこに含有される(またはそこからそのひとが見出すことのできる)感動の比率は変わらないのではないでしょうか
・あるいは
ひとつの精神が存在するあいだに得ることのできる感動の量はみな同じだけで、摂取している情報の量や質がどのようなものであれ、それぞれの精神は同様に揺さぶられるのではないでしょうか
・契機
ここで紹介されていたこの記事。タイトルが見当たりませんが、「ひとはなぜエロゲをするのか」というお題で書かれた文章です。
・気になった部分の引用
ただ単に総合的によくできた作品を遊びたいなら、『ドラクエ』とか『ゼルダ』とか『シレン』の新作を遊んでいればいいわけです。そうすれば、かなり高い確率で「当たり」を引き当てることができる。・読解
(中略)
いつのまにかあまりゲームを楽しいと思わなくなってきたんですね。ゲーム機がいくら進化しても、ゲーム自体は思ったほど進歩しなかったから。
いや、もちろんどんどんすごくなって行っているんだけれど、そこに革命的な何かはなかった。ただより画像が綺麗になり、より容量が膨大になっていっただけでした。
・筆者の方はかつて様々のゲームで遊んでいて、かつそれを面白いと思っておられた様子
・ですがいつからかそれらを「楽しいと思えなくなってきた」
・新しく出るゲームの質が落ちたということではないはずです。期待ほど進歩しなかったとしても、何かが後退したというわけではありません
・筆者の方も「総合的によくできた作品を遊びたいなら」「高い確率で「当たり」」という言葉を使っていて、ゲームはまだまだ面白い可能性の高い、平均して質の高いものであるという認識を持っておられるように読めます
・ゲームは変わらず面白く、なのにその面白いものを遊んでも楽しいと思えない、という現象が起きています
・自省
・本を読んでいると、十数冊に一冊くらいはとても気に入るものに、数十冊に一冊くらいは精神を揺さぶられくらくらするようなものに出会います
・かつてはそういう経験を、もっと頻繁にしていたように思うのです
・二冊に一冊くらいはお気に入りの本になり、十冊に一冊くらいの割合で衝撃的な出会いをし、気に入った本は何度も何度も読み返す、そういうことをしていたように思うのです
・ところが今はそうではありません
・昔より自分の嗜好の方向を掴み、探索力に長け、あの頃より多くの情報を得ることが可能になった今のほうが、本との衝撃的な出会いを得る確率が下がっているのです
・もちろん今出会う本たちがつまらなくなったわけではありません、むしろ質の高いものと出会える機会は今のほうが多くなっています
・面白いものを読んでも、情報の摂取量が今より少なかった頃ほどの情動が引き起こされないのです
・考察
・どのような刺激にもひとはいつか慣れてしまいます
・とても面白いものに触れ続けていたとしてもいつかはそれに飽きて、その中のごく一部しか面白く、楽しいと感じられなくなってしまうのではないでしょうか
・上記事の筆者さんは引用外の部分で、エロゲのほとんどが不出来な作品であったとしても、確実に2パーセントくらいは素晴らしい作品が存在するというようなことを仰っていますが、それは同時に「駄目な98パーセントが存在しないと、素晴らしい2パーセントもまた存在できない」ということなのかもしれません
・まったく駄目と思われる作品ばかりであっても100摂取してみれば、うちの2つくらいは素晴らしいものに見えてくるのではないでしょうか
・逆に珠玉の作品集、誰が見ても素晴らしいと思えるものばかりを100集めて摂取してみても、ほんとうに心揺さぶられるものは2つくらいしか見出せないのではないでしょうか
・課題
・では、できるだけ手っ取り早く心揺さぶられる体験をしたいと思ったときはどうするのがよい方法ですか
・対策
・あまり自分が鑑賞、経験したことのない、新しい媒体の情報に手を出してみるというのは解決策のひとつかもしれません
・ゲームを楽しめなくなったからエロゲを嗜むようになった、というように
・一般的に評価の高いものが無難でしょう
・書物なりゲームなり演劇なり映画なり音楽なり旅行なり、今は消費できる、楽しめるものがたくさんあるのですから
・補足
・もちろん何を見ても精神を揺らがせてしまう状態というのは非常に危険なものなので、無闇にそれを求めるのがよいこととも思えません
・どこにいても何をしていても何をしていなくても、否応なしにやってきて精神を蹂躙していくおそろしいものがあるのです
・それは感動と呼ばれるものなのかもしれないのですが