「私はあなたのことを完全に理解していない」という認識を共有した状態からはじめるコミュニケーションは、そうでないものよりも易しいと思うのです。
思うに、それだから私は妖怪とか幽霊とか変人とか奇矯とか祟神とかそういう評価が付きがちな現状を容認してしまうのです。
「理解し難い相手」と思われた状態から関係性を築くのは、妙な期待や先入観を抱かれた状態から同じ事をやるよりも随分楽なことですので。
私はあなたのことを完全には理解できませんし、あなたは私のことを完全に知ることができません。
あらかじめそういう断絶を呑み込みましょう。
その上で。
それでも私のことを知りたいと思ってくださることに感謝しています。
それでもあなたのことを知りたいと思ってしまうことに絶望しています。
他者が傍にいるときの孤独の方がひとりでいるときよりも痛く感じられるのは、きっとそういうことなのだろうと思います。