大阪が議題にのぼりました。
「大阪はアジアらしい街だと思います」
「俺は大阪のイメージからニューヨークを連想する」
「自分はロンドンを思い浮かべる」
「私さあ、大阪のひとっぽいってよく言われるねん」
「みんなの心の中に、それぞれの大阪があるのだと思います」
「俺の大阪はニューヨーク」
「俺ロンドン」
「私なあ、大阪のひとっぽいってよく言われるねん」
大阪が議題にのぼりました。
「大阪はアジアらしい街だと思います」
「俺は大阪のイメージからニューヨークを連想する」
「自分はロンドンを思い浮かべる」
「私さあ、大阪のひとっぽいってよく言われるねん」
「みんなの心の中に、それぞれの大阪があるのだと思います」
「俺の大阪はニューヨーク」
「俺ロンドン」
「私なあ、大阪のひとっぽいってよく言われるねん」
机の隅にリボンのかかった箱が置かれているのを発見しました。
いつから置かれていたものか判然としません。
あけてみると、チョコレートが入っていました。
ああ、そういえば先週はバレンタインデーでした。
きっとどこかの内気な方が、私に面と向かって渡す勇気がなく、こっそりと目立たぬ場所に置いてくださったのでしょう。
ありがたいことです。
問題は今日が22日だということです。
ここのところ少々忙しかったとはいえ、バレンタインデーを一週間以上過ぎるまで贈り物を放置してしまいました。
贈り主の方が気を悪くしていなければよいのですが。
言い訳しようにも、誰からの贈り物なのかわからないもどかしさ。
どなたか存じませんが、ありがとうございました。
おつかいを頼まれました。
上着を取りに行く時間がなく、薄着のまま外に出ることになりました。
寒いので、走っていくことにしました。
程よく体温の上がった状態で職場に戻ってきました。
そうすると暖房の入った室内は暑く感じられました。
シャツを脱いで半袖の薄物だけを着た状態で業務を再開しました。
快適です。
燃料費高騰の折でもありますし、薄着で過ごすと代謝がよくなるという説もありますし、歩くよりすこし早く目的地に着きますし、走るのはとてもよいことなのかもしれないと思いました。
ただ、皆さんが暖かそうな格好をしている2月の職場でひとりだけ半袖一枚の格好でいると、なんだかとても頭がかわいそうなひとのように見えてしまうのをどうしたものでしょう。
レイトン教授と不思議な町が面白いです。
特殊な知識を要するというものではなく、考えれば解けるように問題が調整されており、ヒントもよい具合に用意されているので、解いていくのが爽快です。
DS、ゲームという媒体の特性を活かし、ナゾナゾ本では出せないような問題の楽しみ方を提示しています。
解きながら、『頭の体操』を思い出すなあと思っていたら、多湖輝が監督していました。
どうりで。
昨日と一昨日は夜っぴてゲーム「赤ちゃんはどこからくるの?」で遊んでいました。
(公式サイト、音楽注意)
いまさらの感はぬぐえませんが、感想。
とても面白かったです。
音楽も映像も好みでしたし、随所に笑いやお遊びを散りばめながら完成度の高いものを、というつくりはセガならではという気がします。
初回のストーリーモードは難易度もちょうどよく、アクションが苦手な私にもクリアできました。
随所雰囲気が色っぽいのもポイントだと思います。全年齢対応なのが不思議なくらい。カノジョといちゃいちゃするのが無闇に楽しいです。「コイツー」の仕草など、見ていてつい口元が緩んでしまいました。
なにより、DSでしかできない面白いことを積極的にやってみようという姿勢がとても好ましく感じられました。
今ならお手ごろ価格で手に入るのではと思います。
見かけたらぜひどうぞ。おすすめです。
あ、肺活量に自信のない方はちいさな扇風機を用意して挑むと助かる場面があるかもしれません。 裏技。
昨日の朝、池に氷が張っているのを見ました。
つやつやした表面をきれいだと思い、手袋を外して氷の表面を撫で、つるつるとした感触を楽しみ、力を込めて強度を確かめ、硬い塊の下にある水の揺らぎを掌に感じ、ぱきりと氷を割って水に指を浸し、つめたい、と呟いた声が思いの外楽しげに響いて気づきました。
もしかしたら私はあまり頭がよくないのかもしれません。
少なくとも今の振る舞いは微塵も聡明さを漂わせていません。
大きな氷にはひとを狂わせるなにかがあると思います。
年末年始はちょっとふっくらしていました。
お正月に体脂肪率を量ってみたら、23%ありました。
正常範囲ではありますが、自分の通常数値からすればややふっくらです。
それが一日たった200回の腹筋運動を行うだけで、今日にはきっちり19%に。
なんでも続けてみるものですね。
存外如実に結果が出るものなのだなあと、すこし驚きました。
しかしながらそれでも自分の2割は脂肪なわけで、重さにして10kg近くの脂肪を抱えて生きているわけで、脂肪を大幅に減らしてもあまり生命活動に支障は出ない気がすることを考えると私は今の8割くらいでも生きていけるのかもしれないわけで、更に人体の6〜7割は水なわけでと考えてそういえば前にもまったく同じ事実に衝撃を受けた覚えがあるのですがそれがいつのことであったか思い出せません。
いろいろなことを忘れていきます。
夜中に嬌声を上げながらアーケードの屋根の上を走り回る少年たちを見ました。
楽しそうな彼らはそこからどこにも行くことができません。
ぐるぐると同じ場所を駆けるばかり。
はしゃぐくらいしかやることがありません。
空を飛べるわけでなく、地に足を着けるわけでなく、中途半端な高さをぐるぐると走っていました。
夜に指を浸したら絡み付かれました。
ぬるぬるとまとわりついてきて重苦しい感覚はもう随分馴染み深いもので身の裡までも浸食していかれるようなおぞけと安らぎ欠けている部分があるから入り込まれるのです空洞だらけの自分の身体疼く古傷に指を突っ込めば零れてくるのは砂ばかり胸の中に入り込んだくろぐろとした塊が重たくて吐き出そうにもままならずただはあはあと口で息をついてなにかに飲み込まれるに任せます。
海のことを思い出します。
真っ白なひかり。
透明な水。
きらきらしたもの。
いつかの夏の日、熱いアスファルトの道路に立ってバスを待ち、人魚の肉を食べたひとに会いに行きました。何時間も電車に揺られて駅員さんのいない駅をいくつも過ぎて日に何本かしか出ないバスに乗ってようやく辿り着く、山と海に挟まれた集落にその家はあって、住んでいるひとはごくわずか、そのひとたちも出て行くばかりで何年かのちには地図からなくなってしまうだろう場所なのだと教えられました。
古びた建物、崩れた神社の鳥居、風化して顔のなくなった狛犬。
既に終わった場所。
人魚の肉を食べたひとは死なず老いないのだといいます。
既に終わったその場所でひとり、これからも終わり続けていくのだといいます。
どんな顔の方であったのか思い出せません、ひかりに溶け込むような肌の白さばかりを覚えています。
薄暗く涼しい部屋に通されて、冷たいお茶を勧められました。
硝子のコップはよく冷えて水滴がたくさんついていて、緑色に透き通るお茶の中に赤い金魚がひらひらと泳いでいました。
もう何年も前のことです。
きっとあのひとは今でもあそこにいるのでしょう。
どんな季節でも、思い出の中のあの場所は眩しいひかりに溢れています。
咳込んで口を押さえて掌を見ると、ちいさな赤い鱗がきらきらと光っていました。