だいたい全部忘れてしまう身の上にあって、なにかしらとてもたいせつなことを一瞬だけ思い出したような気がしてすぐにそれがなんだかわからなくなってしまって別に困りません。
シャンプーとコンディショナーがなくなったので、母が買い物に行き、詰め替え用のコンディショナーと詰め替え用のコンディショナーを購入してきて、コンディショナーのボトルにコンディショナーを、シャンプーのボトルにもコンディショナーを詰め、これがこの年代にならないと許されない「大人かわいいうっかり」だと主張されたので、納得せざるをえませんでした。
自動車運転の練習をしようと思い、母に同乗を頼んだところ、年明けまで待って欲しいとの返事をもらい、待っている間に母がどんどん身辺整理を始め、なんだか部屋ががらんとしてきてしまったのですが、そろそろ謝った方がよいのでしょうか。
祖父に尋ねられました。「カルボナーラ(carbonara)の語源は、炭素(carbon)ですか?」 即答できず、自分の不甲斐ない孫ぶりをひとしきり噛み締めました。
以前、近所のおじいさまが庭先であれこれの大工道具を出してなにやら作業しておられるのを見ました。 日曜大工でしょうか、何をお作りになられるのでしょうか、などと思いつつ、通り過ぎてしまいました。 しばらくして、庭先に小粋な離れが完成していました。
夕焼けで雲が桃色に染まって、着ているもこもこのダウンジャケットと同じ色になっているのをみました。
挫折してもそこで自動的に人生が終わるわけではないというのは些か残酷なことです。
客観的に見て面白い状態ならまだよかったのですが見苦しいばかりで目も当てられません。
もう――たいという考えに取り憑かれてそろそろ丸3日が経過します。いいかげんに思考を切り替えて、もっと前向きに、前向きに、何を考えればよいのでしたっけ。
無闇に落ち込んで、誰も読まないような暗い文章を書いて、そうしてぐずぐずとしているのがもう嫌でした。それなのに。
楽しげなほうに流れる性質です。