好いたひとに抱きついたりぎゅうっとしたりして英気を養う行動をさして「充電」という言葉を使うのはどのくらい一般的な用例なのでしょう。
西尾維新の『戯言シリーズ』や、二ノ宮智子『のだめカンタービレ』でこの用法が確認できたはずです。
しかしながら日常会話で使って確実に相手に理解してもらえるほど普及している言い回しではないように思います。
ひとつ普及率を調べてみたいところではありますが、残念なことにひとみしりです。
好いたひとに抱きついたりぎゅうっとしたりして英気を養う行動をさして「充電」という言葉を使うのはどのくらい一般的な用例なのでしょう。
西尾維新の『戯言シリーズ』や、二ノ宮智子『のだめカンタービレ』でこの用法が確認できたはずです。
しかしながら日常会話で使って確実に相手に理解してもらえるほど普及している言い回しではないように思います。
ひとつ普及率を調べてみたいところではありますが、残念なことにひとみしりです。
どこにも行ったことがないので、どこかに行かずとも平気でいられます。
ここより悪いどこかに行くことがおそろしいのです。
ここにしかいたことがないので、ここよりよいどこかを想像することができないのです。
ここがすばらしい場所だと思っているわけではないのですが。
今いるここが好きで、ここから離れたくないと思っているのではありません。
ただ漫然とここにあります、流れがあればきっと漂ってしまいます。
ここではない場所に行ったとき、そこからここに帰ってくる理由がありません。
私を結びつけるものがどこにもありません。
所属する、帰る場所がないから、どこにも行くことができません。
私はいつかどこかに行って、そのまま帰ってこられなくなるのだという予感があります。
どこにでも行かれる方は、きっと帰る場所がちゃんとあるのだと思います。
自分の中に据える確かなものがあれば、どこにでも行かれるのだと思います。
ずっと、ずっとここにいました。
いつかここではない場所に行くことがあるのでしょうか、そのようなことができるのでしょうか。
逃げ出すのでなく漂うのでなく、確固たる意思を以って。
そんな日が来るならば、どうかそれが幸せな移動でありますように。
速く走ろうと思ったら独りにならなければならない。ひとりで速く速く遠く遠くへ行くことはたしかにとても魅力的なことなのですが、そうはすまいと思いました。
孤独だからいいんだ。孤独だからこそ速くなれる。孤独だからこそ遠くまで行ける。
(舞城王太郎『SPEEDBOY!』)
心の中の「あとで考える箱」から出てきました。
・水を入れたペットボトルを家の周りに置くひとは、どういう心持でそれを置くのでしょうか
・猫よけになるという言説が流布したことがありますが、それに疑いを持ちはしないのでしょうか
・猫よけ以外の目的、あるいは儀式性が発生してはいないでしょうか
再度「あとで考える箱」に入れておきます。
前に気になった記事に対する松平アミさんのコメント。
■私信の多いニュースサイト(淡々と更新し続けるぞ雑記。より)これが正しい反応なのだろうなあと思いました。
>結論:あなたのサイトは好きですが、あなた自体には興味ありません。勘違いするな。
こっちかて、お前に好かれよう思うてやっとるんちゃうわ。
全人類がお前のために何かしてくれてると思ったら大間違いだ。
引用元:(フィアンセ戦車)
特別公演 - プロ棋士はどう考えているか(kaz::hatena)
創造は、今まであった理論、定石に何かを足すかたちで生まれる、つまりは積み重ねほかにも色々興味深いおはなしが。
上澄みから一歩進めるのが重要であって、下の層はあまり関係ない(知識さえ持っていればいい)
情報とキャパシティ
人間の持っているキャパシティの限界を感じる
それは他の人も同じで、この人はこれが詳しい、あの人はあれが詳しいという流れになっている
最近では、莫大な知識の積み重ねが知恵を生むと感じている
量を積み重ねていって、単なる知識、量に過ぎなかったものがある一定量に達すると知恵になるのではないか
梶井基次郎は「文学者は病弱でなければならない」と思っていて、結核になりたがっていて、希望通り結核で夭逝したのですよねということを思い出しました。
ところで僕は昔は料理の練習をしていたのだけど、最近は全然腕が上りません。ファウスト博士の通った道を垣間見ました。
なんでかというと、もう自分が好きな味のものは作ることが出来るようになったので、満足しちゃってるからです。
そんなわけで、僕のプログラミングの腕前もここで打ち止めでしょう。
満足するというのは大切なことなのかもしれませんが、自分が成長したいと思ってる分野で満足しちゃうと駄目ですね。
・作り手が抱える問題のゆえに生み出された作品があります
・ひどい状況とか、ひどい病気とか、よくないお薬とか
・そういうところを経たひとでないと知りえないことを描いたもの
・その作品がどんなに優れていても、その問題を肯定すべきではないと思います
・そういう問題がないと生み出しえない作品があってそれが優れていたのなら、その問題には存在価値があったのだとも思えます
・もちろん、体験していないものを描くことができてこその創作です
・だけれど、知らないものを描くことなどできるのでしょうか