鳩を見ていました。
学校の建物の前で、歩いている鳩を見かけたのです。
よく見るとその鳩、怪我をしたのか、片足が歪に曲がっていて、足の甲をつけて歩くようなかたちになっていました。
痛々しいな、生存活動に支障はないのかな、糸が絡んでいるとかの外的な原因であれば取り除いてあげることはできないかな、ああでもそれは余計なお節介なのかな、あまり近づいて触らせてくれそうにはないな、
などと思いながらすこしの間、よちよちと歩いていく鳩を見ていました。
そのあと、授業の合間に、クラスメイトの方に話しかけられました。
「始業前、学校の前で、立ち止まっていたでしょう」
「あのときちょうど近くにいたのだけれど、僕の姿は見えているはずなのに、特に挨拶をするでもなく、かといって急いで学校に入るでもなく、どうしているのかと不審に思った」
「で、よく見たらなんか、僕に気付いていなくて、鳩を見ていた」
と。
気分を害したというより、不思議だった、というような口ぶりで。
ちょっとした、笑い話のような感じで。
真っ赤になりました。
ええ、大人は普通、それほど熱心に鳩を見ないものです。
完全に無防備な状態をひとから観測されていたことに、どうにも気恥ずかしさを覚えました。
ひとしきり恥ずかしがったあと、これが希有な状態であることに気付きました。
普通なら、私が立ち止まっていることに気付いても、私の視線の先にまでは関心が行かないでしょう。
たまたまその方に時間があって、たまたま私の視線の先に目をやったから、私が鳩を見ていることに気付いて、 笑い話にもしてくださったのでしょう。
そうでなければ。
すれちがったのに挨拶もない、と、むっとされてもおかしくないところだったのかもしれません。
自分では気付かないうちに、クラスメイトに悪い印象を与えるところだったのかもしれません。
たまたま今回は、そうはならなかったけれど。
ああ、私は、やはりどこかしらずれているのだと、否応なしに思い知らされました。
かねてより、自分はひと付き合いが得手ではないと思っていました。
なぜだかひとに嫌われてしまう、と。
そうなる原因の一端は、こうしたことにあったのかもしれません。
普通から、ほんのすこしだけ、ずれているから。
傑出したなにかを感じさせるような特異ではなく、ただすこしだけ、認識しにくいくらいの誤差で、外れているから。
その違和感が相手に積もって、不快感を持たれたり、異質なものと認識されたりしてしまうのかもしれません。
自慢できるほどの突出ではなく、哀れまれるほどの欠落でもなく。
歩いている鳩を見るか見ないか、その程度の差異。
この、鳩一羽分の幅が、私とひとの社会との距離なのでしょう。
生きづらい性質なのだと、思います。
きっと誰でも多かれ少なかれ、同じようなずれを抱えていて、それをじょうずに処理して過ごしているのです。
私もこのずれをどう処理するか、選ばねばなりません。
自分の抱える周囲との差異を認識して殺して、周囲の持つ暗黙の了解をしっかり理解した上で、それに倣うのか。
周囲と馴染むことを諦めてさびしさを受け容れて、ひとりの世界を構築して、それで生きていく術を身に付けるのか。
しかしそれを選択するのはいささか難しいことですので、ここまで考えたところで結論を留保して、私は日常に帰ります。
明日もなるたけ普通のひとらしい顔をして、普通に生活します。
鳩一羽分、世界からぽつりと浮いたまま。