文章を書いている場合ではないくらいやることがあるときに限って、控えておきたいものごとがあれこれ浮かんでくるのは何かの罠でしょうか。
文章を書いている場合ではないくらいやることがあるときに限って、控えておきたいものごとがあれこれ浮かんでくるのは何かの罠でしょうか。
ひとから聞いたおはなし。
・脳にケーブルでビデオカメラを接続し、眼球の代わりにする技術が開発されている(現時点では、あまり精度の高い画像を認識するには至っていない)
・ひとの眼球はよく見ると表面がでこぼこしていてデバイスとしてはあまり優秀でないように見える、カメラのレンズの方が余程性能がよいのでは
思ったこと。
・技術が進化して、自分の目で見るよりもカメラを脳に接続する方がより精密な視覚情報を得られる、という状況になったとき、私はそれでも自分の眼球に固執するだろうか
・今のままでは見られない、聞けない、理解できない、そういう領域に踏み込むことができるなら、自分の身体をものに置き換えることも厭わないのではないだろうか
・仮に置き換えが可能だとして、どこまでを機械に取り替えたときに私は私でなくなるのだろうか
・足を切断しても腕をもいでも多分私が私であることに変わりはないけれど、ならばどこまで分割した際に私の身体部品は私であることをやめるのだろうか
・ヒトの細胞はおおよそ3ヶ月で入れ替わる、3ヶ月前の私と今の私は同じ人間だろうか
・私の記憶、思考パターンをプログラムとしてコンピュータに入力したら、それは「私」なのだろうか
まだここに結論はありません。
思えばもう10年以上前からこの疑問がずっと頭の中にあって、未だに結論が出ていません。
しかしどうしてこのような疑問が頭から離れずにいるのでしょう。
私は、私であることをやめたいのかもしれません。
過剰なフィードバック(10月4日の記事)
「ひぐらしのなく頃に」にもこんな状況が発生していた気がします。
[今日の早川さん] たまには優しいときも・・・
自分の裡にあるものが少ないからこそ、沢山の本を読まずにはいられないのだと思うのです。
読書量を公開するのはいかに自分が空虚な人間であるかを露呈しかねない危険な行為だと思うのです。
ほんとうにほんとうに頭が空っぽで、本ばかり詰め込まざるを得なかった私が言うのですから間違いないと思うのです。
本が好きで読んでいたというより、そうせずにはいられなかったのです。
「今日の早川さん」は面白いです。
良案かも、と思いました。
制服があって合わせる靴下は常に同じ、というような生活パターンの場合は大変実用的な方策かと。
着物に凝りたいときの靴下は別に保存しておけばよいわけですし。
一月くらい前から、お仕事をやめたり生きるのをやめたりした方のお話をよく耳にします。
そういう季節なのでしょう。
あなたがもし今、思い切って何かをやめようと思っているなら。
せめて季節が変わるまで待ってみてはいかがでしょうか。
気候に精神状態が左右されることはあるのですから、一過性の感情で動くのは得策ではありません。
季節が過ぎれば状態はまた変わります。
便所飯(Wikipedia)
ここで上のような項目が存在し、更に削除されそうになっていることを知りました。
凝った冗談記事なのかとも思ったのですが、削除依頼場所での議論を見ると、一般的かどうかはともかく実在する行為の様子。
であればこれは充分に有意義な記事ですから、削除すべきではないと思います。
ただ珍しい事象を紹介するということでなく、ひとりでごはんを食べるのが辛いと思うひとにとって、この記事は有益な意味を持つ情報になりうると思うのです。
同じような不安、同じような喪失感、同じような孤独を見つける。単純なようだが、これほど傷ついた心を癒す方法はないのかもしれない。自分だけじゃないんだ、と思うのは決して弱者の逃げではなく、深いルートで、自分と外とのつながりを見つけた瞬間なのかもしれない。
(梓河人『Gift』解説文より)
今月はいくつかの映画を観ました。
「SAYURI」
意図してのものかどうなのか、考証がともかく滅茶苦茶です。架空の国の「Geisha」を描いた幻想映画だと思えば、楽しく観られるかも。
風鈴をドアベル代わりに使うシーンには仰天しました。そうやって使いますか。
映像は美しいです。
「THE 有頂天ホテル」
群像劇。
いつもの三谷幸喜。
割合長いはずの上映時間、だれずに楽しむことができました。
YOUの声が好きです。
「チャーリーとチョコレート工場」(ティム=バートン版)
観ていて懐かしくなりました。
そう、児童文学でとても悪い子がとても酷い目に遭うのはお約束です。
教訓を含むお話に恫喝が含まれているのは正しい形だと思います。
例によって出てくる数々の不思議機械が素敵。
「キューティーハニー」(庵野秀明・実写版)
正しい馬鹿映画。力を抜いて見ることができました。
これは百合作品のカテゴリに入るのかなあ、とか、ハニー×なっちゃんかなあとか、そういう妄想も含めて観出すと楽しくて楽しくて、私はもう駄目かもしれません。
作り手が楽しんで作っている印象。
途中に入るアニメの出来が良過ぎて驚きました。さすがは本職。
あなたがなに不自由ない生活をしていて家族や友人に恵まれていて幸せ一杯で世界は愛に溢れていると感じられるのなら、文章を書く必要なんてまったくないと思うのです。