心の中の「あとで考える箱」から出てきました。
・水を入れたペットボトルを家の周りに置くひとは、どういう心持でそれを置くのでしょうか
・猫よけになるという言説が流布したことがありますが、それに疑いを持ちはしないのでしょうか
・猫よけ以外の目的、あるいは儀式性が発生してはいないでしょうか
再度「あとで考える箱」に入れておきます。
心の中の「あとで考える箱」から出てきました。
・水を入れたペットボトルを家の周りに置くひとは、どういう心持でそれを置くのでしょうか
・猫よけになるという言説が流布したことがありますが、それに疑いを持ちはしないのでしょうか
・猫よけ以外の目的、あるいは儀式性が発生してはいないでしょうか
再度「あとで考える箱」に入れておきます。
雨が降っています。
帰宅時に降られるのは困ると思い、15分前にてるてる坊主をつくりました。
雨はまだ降っています。
前に気になった記事に対する松平アミさんのコメント。
■私信の多いニュースサイト(淡々と更新し続けるぞ雑記。より)これが正しい反応なのだろうなあと思いました。
>結論:あなたのサイトは好きですが、あなた自体には興味ありません。勘違いするな。
こっちかて、お前に好かれよう思うてやっとるんちゃうわ。
全人類がお前のために何かしてくれてると思ったら大間違いだ。
引用元:(フィアンセ戦車)
特別公演 - プロ棋士はどう考えているか(kaz::hatena)
創造は、今まであった理論、定石に何かを足すかたちで生まれる、つまりは積み重ねほかにも色々興味深いおはなしが。
上澄みから一歩進めるのが重要であって、下の層はあまり関係ない(知識さえ持っていればいい)
情報とキャパシティ
人間の持っているキャパシティの限界を感じる
それは他の人も同じで、この人はこれが詳しい、あの人はあれが詳しいという流れになっている
最近では、莫大な知識の積み重ねが知恵を生むと感じている
量を積み重ねていって、単なる知識、量に過ぎなかったものがある一定量に達すると知恵になるのではないか
公道で女子高生に背後から抱きつかれ、苦虫を噛み潰したような顔で固まっている男子高生を見ました。
もうひとつの場所のほうが、知り合いの方に読まれている率が高い気がします。
最近そちらを更新していません。
近況報告がてら、あちらもそろそろ更新しなくてはなあと思いました。
書くために書くのではなく、交流のために書くというのはなにか不自然なように思いました。
書くこと自体不自然なことですよね、とも思いました。
不自然なことや不自由なことは大好きですよね、拘束のない人生なんて悪夢のようですよね、と自分の指針を再確認しました。
向こうの更新はせずじまいで一日が終わりました。
梶井基次郎は「文学者は病弱でなければならない」と思っていて、結核になりたがっていて、希望通り結核で夭逝したのですよねということを思い出しました。
ところで僕は昔は料理の練習をしていたのだけど、最近は全然腕が上りません。ファウスト博士の通った道を垣間見ました。
なんでかというと、もう自分が好きな味のものは作ることが出来るようになったので、満足しちゃってるからです。
そんなわけで、僕のプログラミングの腕前もここで打ち止めでしょう。
満足するというのは大切なことなのかもしれませんが、自分が成長したいと思ってる分野で満足しちゃうと駄目ですね。