基本的に、敬語です。
敬語に含まれる、ひとに丁寧に接したい感じや、距離を保って他者と接している感じ、「あなた」と「私」を、はっきりと区切っている感じが、使いやすく、馴染みがよく感じられます。
いきおい、メールであれ、会話であれ、敬語を使うことが多くありました。
それで何の不自由もありませんでした。
ところが、敬語を使うのをやめてほしいというご要望をいただきました。
予想だにしていなかった需要の存在に戸惑いはしましたが、ご要望とあらば沿わずにはおられません。
私は相手の方の期待に応えたい人間です。
で、挑戦の結果、かなり日本語が不自由なひとのようになりました。
これまで敬語しか使っていなかった人間にとって、それ以外の言葉は異言語ですから、当然の帰結です。
それでも、ぎこちなく片言で話し、かつ書いているうち、すこしずつ順応していきました。
やがて、言葉に合わせて、相手への距離感が変化していく感覚があるのに気付きました。
感情が言葉をつくるのではなく、言葉と感情は、相互に作用しあって紡がれていくものなのでしょう。
親しい方に話すように話し掛け続ければ、次第にその相手を親しく感じるようになるのだと思います。
あるいは私がひとと接し慣れていないために、起きる現象なのかもしれませんが。
たどたどしくも、敬語とは異なる話し方、異なる距離でひとと接してみるのは、思いの外楽しいことでした。
自分がそのように話せることに、新鮮な驚きを感じました。
もっと早くにこうすることもできたのかな、と、思います。
いずれはもっと多くの方と、親しく接するようになるのかな、とも、思います。
そういうありかたを選ぶ日も来るかもしれないな、と。
そうであってもあなたにだけは、殊更に敬語でありたいように思っているのです。