かつて壊れていたとき、私は幸せでした。
諸々の損傷で身体は殆ど動かず目は見えず、今よりも随分ひどい状態にありました。
それでも、生きていました。
あのときの私にはそれが最も重要なことで、心から自分の幸運に感謝できました。
精神がきちんと機能しておらず、負の感情を認識できなかったのかもしれません。
破損か投薬の影響で、多幸症を呈していただけなのかもしれません。
どうあれ私はとても満ち足りていました。
無尽蔵の至福の中で、にこにこと笑っていられました。
自分の認識こそが自分にとっての世界の全てであるなら、あとにもさきにもあんなに幸せであった時期はありません。
幸福になるのはさほど難しいことではないのだと知りました。
いくつかのものをなくしてしまえば、私はいつでもあの場所に戻れるでしょう。
悲しいこともつらいこともない、ただ幸せだけのある場所へ。
それはとても居心地の良い場所で。
だけれどもう、あそこに行きたいとは思えないのです。