会えなくなったひとは死んでしまったのと同じだ、と思っていました。
互いの環境が変わったとか、感情的にこじれたとか、親しくなるうちに性質の不一致が見えてきたとか、いろいろな理由で会えなくなってしまったひとたちがいて。
そのひとたちは、もう死んでしまったのと同じことなのだと思っていました。
「生きているけれど会えないひと」と「死んでしまったひと」を認識の上で区別することなどできないはずだと。
だからそういうひとたちのことを思い出してはそれなりの絶望感を覚え、後悔したりすこし涙したりして、自分がなにかを失ったような気持ちに浸っていました。
知人が事故に巻き込まれ、行方不明になりました。
昔大変お世話になった、私にとっての恩人です。
しかるべき筋から捜索隊も出ていますが、未だ安否が確認されていません。
もう随分会っていませんでした。
上述の基準に沿えば、私の認識の中では「疾うに死んでしまったのと同じ」と言えそうなひとでした。
そんな理屈、まったくの机上の空論でした。
会える可能性が少しでも残っているのと、死んでしまうのとは全く、全く違うものでした。
圧倒的な喪失の予感と、ひどい恐怖。
生きてさえいてくだされば、まだ会える、お話できる、なにか関われる可能性はあるのです。
だけれど。
どうか、どうかどうか無事でいてください。
私はまだあなたに何もお返ししていません。
あなたはまだ、いなくなってよい方ではありません。
無事でいてください。