夜に指を浸したら絡み付かれました。
ぬるぬるとまとわりついてきて重苦しい感覚はもう随分馴染み深いもので身の裡までも浸食していかれるようなおぞけと安らぎ欠けている部分があるから入り込まれるのです空洞だらけの自分の身体疼く古傷に指を突っ込めば零れてくるのは砂ばかり胸の中に入り込んだくろぐろとした塊が重たくて吐き出そうにもままならずただはあはあと口で息をついてなにかに飲み込まれるに任せます。
海のことを思い出します。
真っ白なひかり。
透明な水。
きらきらしたもの。
いつかの夏の日、熱いアスファルトの道路に立ってバスを待ち、人魚の肉を食べたひとに会いに行きました。何時間も電車に揺られて駅員さんのいない駅をいくつも過ぎて日に何本かしか出ないバスに乗ってようやく辿り着く、山と海に挟まれた集落にその家はあって、住んでいるひとはごくわずか、そのひとたちも出て行くばかりで何年かのちには地図からなくなってしまうだろう場所なのだと教えられました。
古びた建物、崩れた神社の鳥居、風化して顔のなくなった狛犬。
既に終わった場所。
人魚の肉を食べたひとは死なず老いないのだといいます。
既に終わったその場所でひとり、これからも終わり続けていくのだといいます。
どんな顔の方であったのか思い出せません、ひかりに溶け込むような肌の白さばかりを覚えています。
薄暗く涼しい部屋に通されて、冷たいお茶を勧められました。
硝子のコップはよく冷えて水滴がたくさんついていて、緑色に透き通るお茶の中に赤い金魚がひらひらと泳いでいました。
もう何年も前のことです。
きっとあのひとは今でもあそこにいるのでしょう。
どんな季節でも、思い出の中のあの場所は眩しいひかりに溢れています。
咳込んで口を押さえて掌を見ると、ちいさな赤い鱗がきらきらと光っていました。