週末はいろいろうろうろしました。
途中ぱたぱたと走ったせいか、どこかでイヤリングの片方を失くしてしまいました。
そのときは急いでいたので、紛失に気づいた次の瞬間には諦めて、足を止めずに先に進みました。
今、片方だけのイヤリングを目の前に、寂しいようなすんとした痛みを覚えています。
あのとき探しても、きっと見つかりはしませんでした。
間違った判断はひとつもありませんでした。
失ったことを知っていました。
取り戻せないことを理解していました。
気付いたときに、できることはもう何もありませんでした。
それでも探すべきだったのかもしれません。
無駄であっても足掻いて出来る限りのことをしていれば、失わずに済んだのかもしれません。
片方だけ残ってしまったものをどうしていいのかわからずに、ただ持て余して悲しくなるのです。