心が空洞だろうが、ガイキチだろうが、そいつが作ったものが良かったらば、それでいいじゃんとか僕なんかは思うんだけど、皆さんは如何でしょうか?それが誰の手でどのようにしてつくられたかというのはどうでもいいことなのかもしれませんということを以前より考えています。
私信の多いニュースサイト(よい子の日記帳)
サイト(作品)に対する評価を自分自身への評価と混同してしまうサイト管理人のおはなし。
あなたのサイトは好きですが、あなた自体には興味ありません。勘違いするな。作品を認めてもらいたいのではなく、自分自身を認めてもらいたくてなにかをつくるひともいるのです。
当初の動機はそうでなかったとしても、そのように変化してしまったひとたち。
消費者としては動機がどうあれ、面白いものが見られるならそれでいいよねと割り切ってよいところです。
誰がどのような思いで何を作っても、その過程は私にとって重要ではありません。
手元に届く結果が全て、それが面白いかどうかが全て。
そうやって消費されることに耐えられますか。
そういうことを知っているのに、なお何かを作らずにはいられないのはなぜなのでしょうか。
生活のためでなく評価のためでなく誰かのためでなくもしかしたら楽しみのためですらなく、やむにやまれない作らざるをえない切羽詰まった状況は。