以前読んだおぼえのある記事が、ここで再度紹介されていました。
上手な謝り方(わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる)
ほかの書き方で同様の主張をしているサイトさんがほかにもあったはず、と思い探索してみたのですが、それはみあたらず。勘違いかもしれません。
ともかく上の主張には賛同します。
何らかの理由で自分が相手の機嫌を損ねてしまったら、とりあえず謝っておくのがもっとも容易な状況解決の手段だと思っています。
経験上誰であれ、相手のこだわりとプライドと被害者意識を大事にして自分のそれを無視すれば、概ねの場合円滑にものごとが動くのです。
ただ、それを続けていると自分の場合はどうしても自己評価が下がってしまい、どんどん自分が価値のない人間のように思えてきます。
しっかりとした自我があって、きちんと自己肯定できているひとならそうはならないのでしょうが、自分はまだその域に達していません。
ほんとうに上手に謝れるひとというのは、自分をしっかり持っていて相手のことを大事に思っていて、かつ自分の感情より相手が心地よくいられることを優先することのできる、ゆとりのあるひとなのだろうなあと思います。
そんなひとが度々相手を怒らせるとも思えないので、上手な謝り方というのはめったにお目にかかれない、貴重なものなのかもなあとも。
ちょっと違うかもしれませんが
被害者が加害者に謝る国・日本(しなさりんど)
ここの
自分が嫌なシチュエーションに置かれた場合、そのストレスから回避されたい場合、ほとんどオートマティカリーに「ごめんなさい」「許してください」という言葉が出てくるようにプログラミングされているんじゃなかろうか。という指摘も的を射たもののように思います。
これは逆方向の戦略かも。
なぜ女性は怒りを爆発させるのか(憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記)
しかしこういう戦略を使える女性はきっと魅力的な方でしょう。自分には難しいです。
相手を不快にしたくないという気持ちもありますし、怒りに対して怒りで返された場合の厄介さを考えてもしまいますし。
自己評価の低さが遠因になっているのかもしれません。
感情表出があまり巧くないのです。
あまり色々考えずに感情をぶつけてもぶつけられても(時には怒りを爆発させても)大丈夫な関係性、というのを誰かと築くことができればいいだろうなあ、とは思いますが、残念ながらひとみしりです。