ひとから聞いたおはなし。
・脳にケーブルでビデオカメラを接続し、眼球の代わりにする技術が開発されている(現時点では、あまり精度の高い画像を認識するには至っていない)
・ひとの眼球はよく見ると表面がでこぼこしていてデバイスとしてはあまり優秀でないように見える、カメラのレンズの方が余程性能がよいのでは
思ったこと。
・技術が進化して、自分の目で見るよりもカメラを脳に接続する方がより精密な視覚情報を得られる、という状況になったとき、私はそれでも自分の眼球に固執するだろうか
・今のままでは見られない、聞けない、理解できない、そういう領域に踏み込むことができるなら、自分の身体をものに置き換えることも厭わないのではないだろうか
・仮に置き換えが可能だとして、どこまでを機械に取り替えたときに私は私でなくなるのだろうか
・足を切断しても腕をもいでも多分私が私であることに変わりはないけれど、ならばどこまで分割した際に私の身体部品は私であることをやめるのだろうか
・ヒトの細胞はおおよそ3ヶ月で入れ替わる、3ヶ月前の私と今の私は同じ人間だろうか
・私の記憶、思考パターンをプログラムとしてコンピュータに入力したら、それは「私」なのだろうか
まだここに結論はありません。
思えばもう10年以上前からこの疑問がずっと頭の中にあって、未だに結論が出ていません。
しかしどうしてこのような疑問が頭から離れずにいるのでしょう。
私は、私であることをやめたいのかもしれません。