ふと魔が差して、深夜の洗顔前に、アイシャドウ、アイライン、ハイライト、シェーディングを濃いめに入れた、いわゆるギャルメイクに近いお化粧をしてみましたところ、鏡の中の自分がいささかこわいのですが、落としてしまうのもなんだかもったいないのですが、こんな時間にこの顔を見せて驚かせる相手がいてくださるわけもなく、いたとしてもそれは結構な嫌がらせのような気がして、なんとなくこのわくわくした気持ちを持て余しています。
しばらくご無沙汰していた方とすれちがい、声をかけようとしてふと、長い髪の私しか知らない相手は髪を切った私を私と認識できないのではないかと躊躇してしまい、結局ご挨拶できずじまいに終わってしまいました。 名札をつけて歩けば、このような悲劇もなくなるでしょうか。
髪を切りました。 うなじがすこし見えるくらいの短髪です。 かわいいですよ、と言い張るほどの図々しさを持つにはいろいろ問題がありそうですが、悪くない格好だと思います。 すこし前までの十数年は、愛着を持って髪を伸ばしていたものの、もしかしたら自分には短髪のほうが似合うのかもしれないということをあっさり認めてしまえました。 かといって、それまでの十数年が無駄であったとも、もちろん思わないのです。
父が「母に中国夏王朝の話をしようとしたら、興味を持ってもらえなかった」としょんぼりしており、母は「父に自分の知識不足を露呈するのが怖くて、難しそうなお話を聞き流してしまった」としょんぼりしていたので、とりあえずの接点になればと、母に簡単に三皇五帝のおはなしをしてみたら、伏犧と女?が兄妹ということに倫理的な異議を唱えられてしまい、会話の難しさを痛感した雨の日でした。
おなかがすいたのですが、寝る前ですので食べるのは控えて、暖かい飲み物を摂ることにしようと思い、簡単にスープを作って、作りながら、これを入れたらおいしいかも、と具材をあれこれ投入、完成した具だくさんのスープをもぐもぐしながら、おいしいですね、これはスープというより煮物ですね、飲み物というより夜食ですねと気付いてしまって私のばかあああ。
妹が石のように固い苺大福を作りました。 バレンタインに、期せずして貰い手の愛情を試すようなお菓子を作成してしまうのは、私特有の習慣だと思っていましたのに。
今年のバレンタインは、母がお餅つき大会に出席し、妹が苺大福を作成し、全体的にお餅寄りのイベントとなりました。
本日、近所の教会ではお餅つき大会が開催されていました。
地に足の付かない生活ばかりしております。 家族に申し訳ないかなあと思ったのですが、母方の祖父は長年「ながれもの」で、母もそれについていく生活に慣れており、父は己の倫理観に従って職場を変えつつ現在に至っており、最も保守的な性質を持つ父方の祖父でさえ、戦時中は語学力のみを頼りに世界を転々としていたらしいので、私がこんな感じなのもあるいはいたしかたないことなのかもしれないと思えてきました。 ひとのせいにしてはいけませんね。
前の職場の方からご連絡をいただき、自分がかつて働いていたことを思い出し、同時に自分がかつて働いていたこと自体を忘れていた自分に気付いて、さすがにまずいような気がしました。
楽しげなほうに流れる性質です。