「性別を問わず愛でることと愛でられることを許容するといいのだと思うのー」
「しかしそれは今の日本社会にあっては易しいことではないよね」
「男性諸氏も愛でられる対象となることに耐えうる強靭さと謙虚さと図々しさを持てばあれこれの文化に散見される屈折が解消するのではないかと思うのー」
「性別を問わず愛でることと愛でられることを許容するといいのだと思うのー」
「しかしそれは今の日本社会にあっては易しいことではないよね」
「男性諸氏も愛でられる対象となることに耐えうる強靭さと謙虚さと図々しさを持てばあれこれの文化に散見される屈折が解消するのではないかと思うのー」
「『小悪魔な女になりたい』と無邪気に言えてしまう女子の能天気さには目眩すら覚える」
「『『小悪魔な女になりたい』と無邪気に言えてしまう女子の能天気さには目眩すら覚える』などと真顔で語ってしまうひとの善良さに目眩を覚えるようなひともいるだろうねえ」
「『『小悪魔な女になりたい』と無邪気に言えてしまう女子の能天気さには目眩すら覚える』などと真顔で語ってしまうひとの善良さに目眩を覚えることができるくらいの強靭さをもったひとに玩弄されてみるのはきっと楽しいことだろうねえ」
あたらしい変身ヒーローとか魔法少女とかそういう括りのキャラクター案を考えてみました。
・コンセプト
毒をもって毒を制す
・名称及び特徴
「心神耗弱ちゃん(仮)」
いわゆるひとつの物狂い的な症状を起こしているキャラクター。
病状は時と場合に応じて様々。
なにかにつけて幻聴を聞いたり幻覚を見たり被害妄想に取り付かれたり異様に神経質になったり自傷行為に走ったり電波がどうこう叫びだしたりするのが特徴です。
・使用法
格好をつけたくてリストカットしてみたりするような困ったひとの前に現れて
「ごめんなさい!ニャントロ星人が脳に命令を通信してくるので仕方なく!」と叫びながら暴れたり
「逃げて!私の中の鬼が出てきてしまう!」と叫びながら暴れたり
「体内に盗聴器を埋め込まれてしまったんです!」と叫びながら切腹してみたりします。
「あなたの傷が私を呼ぶのです!」とか言って、対象者が自己の状況を改善するまで根気良く現れ続けます。その度に暴れたり叫んだり暴れたり暴れたり暴れたりします。
自分より困ったことになっているひとを目の前にして、思わず対象者が寛解すれば成功です。
・弱点
暴れ方の度合いによっては対象者に深刻な被害が出ます。
・補足
実は詐病です。
萌えキャラとして漫画化されたりアニメ化されたりすればよいと思います。
あるいはあたらしい社会不適応者支援の形としていかがですか。
あれとかあれとかあれなどの宗教に傾倒している方やあれやあれなどの商法に熱狂している方を集めて、相互が相互を勧誘し合うよう仕向けたらどうなるのでしょう。
どれかひとつが勝利を収めるのでしょうか。
それとも各人心酔する対象を増やしてしまうことになるのでしょうか。
はたまた全員協議の結果、全く新しいなにかを生み出してしまうのでしょうか。
興味はあるのですが、行動力と勇気がありません。
発案だけ置いておきますので、どなたか試していただけませんか。蟲毒づくりの要領で。
・課題
性質のよくないもの(よくない新興宗教、マルチまがい商法など)に洗脳されてしまったひとをどうにかするにはどうしますか
・対応の提示
もっと性質のよくない価値観で洗脳する
・註釈
「性質のよくない」=「いかにも正しいように見える」
・補足
狂気はより重度の狂気で捩じ伏せることが可能です
・留意点
状況は悪化します
・留意点の補足
「そのひとがなにかに依存しない状態=良い状態」という前提の場合、この対応だとその状態からは更に遠ざかることになります
・考察
自分の頭で考えるというのは大変面倒なことで、支配されるのは大変楽しいことなので、一度信仰の快感を知ってしまったひとをそこから引き剥がすのは困難なことでしょう
・前向きな謀略
魅力的な価値観を提示してひとを依存させてみたいものです
・後ろ向きな願望
なにかに全力で依存して支配されて自由と責任を放棄して生きてみたいものです
・重要だと思うこと
狂気はより重度の狂気で捩じ伏せることが可能です
忘却してしまったものの存在に気付けるうちは、まだそれを完全に忘れているとはいえないような気もします。
ほんとうに忘れてしまったものがなんなのかは、きっともうわからないのです。
まったく耐え難い、と思う夜があるのです。
存在するだけのことがひどく困難で、ともかく思考の停止に全力を注ぐよりほかないような時間。
しかしながら翌朝の朝ご飯はおいしくいただけてしまったりするのです。
朝の慌しい時間で支度をして、訪れるのはいつものそれなりに楽しい日常。
自分の脆弱さよりも強靭さのほうが絶望的なもののように思える瞬間。
明日、11月23日は「毎年、何かが起こる可能性が比較的高い日」です。
過去を振り返ると、この日にちょっと大きめの怪我をしたり、悪い報せを聞かされたりする確率が高いのです。
怖い思いをしたり、死にかけたり、路頭に迷うことを覚悟したり。
なので、11月23日は私にとって厄日なのだと思っていました。
だけれど考えてみたら、この日にした怪我で死に至ったものはひとつもなく(それはほんとうに奇跡的なことなのです)、この日に聞いた悪い報せがその後の生活に大きな悪影響を齎したということもないのです(それはほんとうに奇跡的なことなのです)。
すると、こう考えることもできます。
「11月23日には、私は死なない」
「この日なら、どんな怪我をしても生き残れる」
「この日に起きた災難は、何があっても乗り越えられる」
それは、もしかしたら「よい日」なのではないでしょうか。
明日がどんな日になるか、私にはわかりません。
11月23日にどういう出来事が起こるのか、私にはわかりません。
ともかく、私は今、生きています。
わたしに価値があるかどうかを決めるのはわたしではなくあなたなのだということ。
あなたに価値があるかどうかを決めるのはあなたではなくわたしなのだということ。